陰鬱

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正直、もう君に対しての好きという感情は薄れつつある。それは君だってそうだろう。ただ、誤解しないで欲しい。僕は君を見捨てるわけではない。僕は君から沢山得たものがある。君の支えがあって、このコロナ禍の一年を過ごすことができ、バイトも始め、気遣いを知り、傾聴の大切さを知った。好きな人に限りなく尽くす歓びも僕は知った。色々なことを知った分、傷つくことも多々あった。身体だって壊した。それでも、僕は君のことを一途に愛していたし、大切にしていたつもりだ。だから、見捨てることはない。これからはきっと恋愛的な愛ではない、隣人愛的な愛で君を見守ろう。君が僕にとって大切な友達であることに変わりはない。

今はきっと時期ではない。僕は所詮子どもだからできることにも限界がある。お金を与えることも、薬を与えることも、やはり家族のことを考える。僕が彼女でもない一女の子にお金をあげたり、法を犯して薬を郵送しているとバレたら、母は泣くだろう。どうしても薬が欲しいなら対面にでもしてくれ。それに、今は僕の精神状態は不安定で、なおかつ心はボロボロだ。どんなに僕に非があって、気遣いができない人間であろうと、言われたことが事実であろうと、言われたら苦しいことはある。先日言われたことで、明らかに僕は軽蔑され見下されていることがわかった。だから、今僕は君に対して助けることはできない。あまりにも辛いからだ。

僕だって頑張っているし、大切にしているつもりだ。薬をいちいち詐病して貰って、君にあげることのできる人が他にいるだろうか。君のことを一生養おうと思っていた。そこまで君のことを愛している人は他にいるだろうか。酷いことを言うのなら、他の人に助けてもらって欲しい。援助は僕にしてもらって、他の人を優先するというのが、僕にはどうしても理解できない。僕ももう大切にされていないと感じている。君の幸福は僕の不幸を土台として成り立つものなのだろう。

僕の言動に凄くイライラするのはわかる。僕に非があることはわかる。でも、それで僕に罵倒したところで、君は僕と同じレベルになってしまうのではないか。罵倒するくらいなら一時的にブロックするなり無視するなりして欲しい。酷いこと言われるのが、一番傷つくし、君のことを助けたいとも思えなくなってしまう。君を酷い人間だと思ってしまう。どんな凶悪犯であれ、酷い言葉を一面的に浴びせる醜さを、君は知っているはずだ。ネットリンチの酷さを知っているはずだ。どうか、不器用で気遣いのできないクズな僕であっても、酷い言葉をかけないでくれ。お願いだ。直す努力はいくらでもするつもりだ。どうか君のことを心から助けたいと思えるようにさせてほしい。

身なりや気遣いが大切なことはわかっている。寂しさを埋めることも大切だろう。何もかも犠牲にして、君に一途に捧げることも大切だろう。僕は確かにできなかった。君の望むような人間にはなれなかった。でも、誰よりも僕は君を心から愛していた。行動や気遣いではなく、一途な心を見て欲しかった。どんぐりだってどんぐり並みに君のことを愛していただろう。表面的なことよりも、どうか奥底にある心を見てほしい。表面ばかり見て、ただ寂しさを埋めてくれるからといって、変な人間や無責任で馬鹿な大人に騙されないでほしいと願う。

こないだ東京ドームシティの遊園地に行った。お化け屋敷やジェットコースターに乗った。それはそれは楽しかった。相変わらず長く歩かせてしまうこともあったし、身なりも最悪だったかもしれない。カラオケや乗り物代だって割り勘だ。でも、その子は多少歩いても付いてきてくれたし、多少奢ろうとしても断られた。身なりなんて全然気にしなかった。とにかく優しかった。僕は心を見てくれたのだと思う。心底嬉しかった。見下される関係が僕はとても耐え難いことを知った。君は酷い人間なのかもしれないと感じた。他の子にも親友だと思われている。それも多分心を見てくれているからだ。毎日一緒にゲームをするくらい仲がいい。将来インドに行ってこども達を支援する計画なんて立てている。まだ君とよく通話してた時、僕は誰よりも君を優先してたから途中でその子との通話を切るとその子はよく君に嫉妬していた。桜見に行ったりたまにカラオケに行く子からも、僕は相談を受けたり信頼されている。

なぜ君だけが僕を屑扱いし、僕のことを傷つけるのだ。僕はそこまで異常者なのだろうか。確かに気遣いはできないタイプの人間だが、それだけで僕はもうダメな人間なのだろうか。

もう恋愛的な愛は殆どない。君が誰と関わって誰と付き合おうが、正直どうでもいい。ただ、隣人愛的な精神で、君のことを生涯見守りたいと思う。なんらかの縁で掲示板で出会ったのだ。君は僕にとって唯一無二の大切な友達だ。見捨てたりは絶対しない。ずっと愛してる。だから、心配しないで欲しい。自由に生きて欲しい。ただ、今だけは時期ではない。

君は魅力に溢れている。それは可愛い容姿だけではない。君のレトリック溢れる文体と、透き通った神秘的な絵はいろんな人間を魅了している。現実では君はそれらをひた隠しにしているから気づかれないのだろう。でも、本当は沢山の魅力を君は抱え込んでいる。これ以上魅力に溢れさせる必要はないだろう。人身掌握術なんていらない。君は誰だって飼い殺せるポテンシャルを持っている。君が必要なのは、ただ一途に信じ続ける心と、寛容さだ。君の言う通り、君が不安に思っていることは被害妄想かもしれない。もちろん、今まで変なやつばかり君に近づいてきたかもしれない。でも、今君が関わっている人がどんな人であれ、仮にその人が悪い人であったとしても、一途に信じ続ける強靭な心だけが、君の幸せを勝ち取る一つの糧だろう。そして、多少イライラすることがあったり、約束と違うことがあっても、少し傷つくことがあっても、許してあげてほしい。どれだけ今愛されていると感じても、君はいずれ誰かに満足できなくなって、不満ばかり募って、否定されていると感じて、その場の感情でその人に辛辣な言葉を浴びせるだろう。どうか人を傷つけそうになったら、一先ず落ち着いて沈黙を貫くといい。

それだけで君は魅力あふれる人間であり続け、君はいつか大切な人を手にするだろう。下手に魅力や人心掌握術を身につける必要なんてない。それだけで、君は見捨てられることは無くなるだろう。みんな大切にしたいと思うだろう。それで見捨てるやつは大したことのないやつだから切り捨てればいい。

映画一緒に見ようと言ってくれたのは嬉しかったよ。諦めていたのは僕の方かもしれない。君は僕のことを何度でも許して、許せないこともありながらも、それなりに僕のことを大切にしてくれて、少しでも関係を良くしようとしてくれていたのかもしれない。僕がもう少し強靭な精神と、そして気遣いと行動のできる人間であれば、もう少し君のことを長く好いていたかもしれない。

今思えば、僕も君に辛いことばかりしてしまったと思う。君が突然僕のことを嫌いと言ったりしたあの時も、今ならその真意がわかる気がする。ただ君だけを見つめればよかった。漢検の勉強に熱中して君のことを疎かにしていた時もあったし、君のことを受け入れられず、ただ反論ばかり繰り返していたこともあった。ただ話を聞いてあげれば良かったのに、不安にさせるようなことを言ったり、溜息を吐いたこともあった。もう少しだけ、僕が一人の女の子に過ぎない君を、もう少し君を安心できるような守れるような人間になれたら良かったと本当に哀しい。気遣いや行動が欠けた人間だと思う、それでも一時期は、あの夏の日まで、君は僕を一番信頼してくれていたと思う。心を見てくれていたと思う。だからこそ、僕は君と関われたし、僕はとても救われた気持ちだった。骨の髄まで染み込んだ僕の気遣いの無さは、一朝一夕に直るものではないだろう。直そうとは思っても、もう間に合わないだろう。本当に辛い思いさせてしまった。ごめんなさい。

もう年末だ。1年間僕と関わってくれてありがとう。本当に愛している。もう君と一緒に暮らすことも会うことも無いだろう。君への恋愛的な愛もいずれは尽きるだろう。でも、君が初めて好きになれた人間でよかった。愛を教えてくれただろう。君は生きるべきだ。常に君のことを想っているから、君は僕を踏み台にして、幸せになるべきだ。君が苦しむべき理由はない。幸せになって。

ごめんなさい

今でも君のことが本当に好きで、つい何とかしたくなってしまうのです。ただ大人しく指を咥えているのがもどかしくて仕方ないのです。

でも、僕は確かに身なりも気遣いもコミュニケーションもままならない人間ですから、何にもできない最悪な人間だと思います。だから、もう信用されないし、頼られるべきでない人間だということも自覚しています。本当に自覚しています。

また僕は君を傷つけた。ただ話を聞くだけで、人をどれだけ安心させられるか、この傾聴という概念を、僕は臨床心理学で何度も勉強したつもりだった。なのに、僕は自分の愚かさを自覚せず、妙なことを尋ねたり、要らぬことを口に出したりして、君を不安にさせ、傷つけてしまった。僕はいつになっても話のわからない頼りない人間だと思われても、仕方のないように思えます。

僕は生涯君のことを思い、協力すると思う。今はただ僕も家にいて、自立してないからできないこともいっぱいあります。自立したら君のことをうんと沢山助けたいと思う。

でも、僕はなんだか自信が無くなってしまいました。君は僕のこと好きじゃないことを知っているし、言っていたように僕と一緒にいるのも恥ずかしいでしょう。僕はきっと本気で君のことを幸せにするのは多分できない。僕は変わる気力はあるけれど、きっといつまでも君に認めてもらえないと思う。最近諦めが僕の周りを漂うようになった。僕以外の誰かがきっと君を愛し、幸せにするだろう。だから、僕はその人に託したい、とそんな思いがするのです。僕は何の魅力もない。なぜ、僕は君と関係を持ち続けているのか、最近よかわからなくなっています。本当になんで僕は君に尽くしているのか、償いなのか、分からなくて、僕が居なくたって君はいずれ幸せになるはずなのに、何で僕はいるのだろう、と。僕は君と関係を続けているせいで、君のことを傷つけることばかりなのに、何故と思うのです。本当にごめんなさい。傷つけてばかりで、何もかも自信を無くしつつあります。僕は君の元に居ていいのでしょうか。


誰かに見捨てられるかどうかは誰にもわからない。どれだけ人を大切にするかどうかは各人に依る。でも、きみがずっと誰かを信じ続ける限り、見捨てられずに済む確率と高くなる。人を信じ続けるのは辛いことだと思う、きっと色々なことで思うようにいかなかったり、イライラすることもあると思う。それでも、一途に信じ続ければ、見捨てずにそばに居てくれるかもしれない。僕もずっと君を信じてきた、だから一年ずっと関わることができた。何度も挫けて泣いて辛い思いしても、それでも君のことを信じ続けた。だから、君も誰かのことを信じ続けてほしい。何か特別なことを、嫌われない努力をしなければいけないと思うかもしれないけど、ただ信じ続けるだけでも、その人がまともな人なら、きっと受け止めてくれるはずだから。だから、そこまで思い詰めなくても大丈夫だ。絶対なんとかなるから。

忘れずに

僕はエピソード記憶というものは、人よりもそこそこ機能していると思う。学生時代のいろいろな思い出だとか、クラスメートの大半は覚えている。絶対忘れない。楽しいことも辛いことも。

だから、僕がしてしまった最悪なことも、全部覚えている。君に酷いことをしてしまった数々のことも、全部覚えている。だから、その罪悪感と後悔でしばしば胸が引き裂かれる思いがする。あの頃の僕はただの未熟な未熟な、無知で生意気な子どもであったと思う。今もきっとそうなのだろう。引きこもっていた時だって、大半はそのことを考えていた。僕にとって一番辛いことは、君のことを本気で愛していて、人生を君に捧げたいと思っていたのに、結局君のことを傷つけることしかできなかった哀れな末路、報われない結果に泣いている。許してもらおうとは思っていない。君のことを傷つけた代償は一生償うつもりだ。僕も君のことを傷つけたことはちゃんと理解していて、あの日を境に僕はもう君と関わる権利もないから本当は消えようと思っていた。だから、君が今もこう関わってくれるだけで、それだけで僕は幸せだし、申し訳なさでいっぱいになる。

以前知り合いと中野ブロードウェイに行った時、そいつはゴジラが好きで、色々なゴジラのフィギュアがそこに売ってるのである。何十万もするものもあれば、小ちゃい数百円〜数千円のものもある。欲しい欲しい言ってるのに、買わないのである。お金が勿体無い、家のスペースが無くなると言って。僕は心底ムカついた。お金はあるのに使わないのである。帰りに富士そばでそばでも食べようとしたら、お金が勿体無いから一人で食えという。ここで僕は気づいた。昔の僕もきっとこんな感じだったのだろう。価値観は別として、人の好意だとか提案だとかを反故にして、そこまで倹約的になるかと、、。僕は昔の自分を見ているようで、辛かった。そして、僕は心底不快な思いをさせてしまったと、心から感じた。


1ヶ月引きこもって、もはや死んでもいいと一度でも思うと、もはや生への執着だとか、欲望だとか、憧れだとか、そういったものは薄れてしまった。もはや僕は君から愛されたいとも許されたいとも思わないし、君が色々な人と関わって嫉妬することも無くなった。君のことを今も愛しているし、ただ君が思うままに自由に生きてくれたら、どれほど嬉しいかと思う。

僕はできる限り君に協力しようと思う。きっと協力したり行動に表さなければ、僕の君への愛も、きっと証明されないからだ。他の人はきっと簡単には協力してくれないだろう。皆自分が大切だからだ。僕も何から何まで協力できるかは分からない。ただ言えることは、もう君の元から離れるつもりはないことだ。心理的にも物理的にもどれほど離れていようが、僕は君の側にいるつもりだ。君が苦しんでいれば、きっとその時は僕も苦しんでいる。君が幸せな時は、僕もきっと幸せになるだろう。君の喜怒哀楽を僕は共にして、僕を踏み台にしてでも、君は幸せになるべきだ。僕という土台がいなくなれば、きっと君は安心して生きていくことが難しくなるかもしれない。だから、僕はただ君の元で存在したいと思う。仮にまた精神的にも身体的にも崩れてしまったとしても、必ず戻ってくる。何ヶ月先何年後先になろうが、必ず戻ってくる。僕が死なない限り、そして君がいつか死ぬその時まで、僕は側にいさせて欲しいと思う。そして、一生愛させて欲しい。

心の支えであった守くんも亡くなり、一年以上関わっていて、死にたい時は通話もして慰めてくれていた人にも最近ブロックされた。僕も捨てられ、別れられる時の心痛な気持ちはひどく理解できる。ネットでは簡単に関係を切る人がいるが、僕はそんなことはできない。ずっと繋がっていれば困った時になんとかしてあげられるかもしれない。だから、僕は死ぬまで君の元で大人しくしているから、君は恋愛だって創作だって悩みだって人生だって自由に享楽して、生きていって欲しい。君は生きる価値がある。僕にとっても他の人にとってもきっとそうだ。なによりも魅力的だから。もちろん命の価値は平等だが、君ほど愛しい人間が死んでしまうのは堪え難いものがある。20になれば誰も口出しできない、諸々の義務や法から解放される。取り敢えずその時まで生きていて欲しいと思う。僕も協力するから。

僕は昔から非常に臆病で、人見知りで、母親にべったりしているような子だった。幼児教室の前で一人泣きながら、母の元から離れることもできないそんな人間だった。今は随分成長できたと思っているけど、未だに臆病で怖くて堪らないことがある。

長い間話していないので、自分から声を掛けるのも烏滸がましいというか、臆病でできません。きっといずれここを見てくれると思うので、もし望むようでしたらまた話しかけてあげてください。

めいちゃんお元気ですか。約1ヶ月半ぶりでしょうか。まず最初に僕は謝らなければいけません。

本当にごめんなさい。何の断りも無しに急に音信不通になって、迷惑も心配も沢山かけてしまった。約束してたレポートもできなかった。本当にごめんなさい。どうか、許してください。

兼ねてから言っていたように、僕は決してめいちゃんのことを忘れてしまったわけでもないし、見捨ててしまったわけでもないです。ずっとめいちゃんのこと忘れずに毎日を死ぬる思いで過ごしてきました。

あの日、突然何もかもが嫌になって、全てを放り出してしまいたい欲求に駆られました。高校を辞めた時以来のことです。諸々の義務だとか欲求だとか人間関係だとか、そういったもの全てから逃れたいと衝動的に思ったのです。

もう誰とも連絡を取る気力も無くなり、スマホも見ずに、暗い部屋に篭る生活をしていました。最低限ご飯は食べていましたが、もう何もしたくなくなり、ただぼーっと部屋を眺めて、静寂の中寝ているのだけが幸せでした。

外界の全ての情報と人間関係を遮断して、僕は無責任にも自分を守っていたのだと思います。でも、そんな中でも色々考えてしまいます。君のこともそうだし、守くんのことも。それから将来のことや、後悔だとか、孤独感だとか。孤独感は不思議に慣れていって、今はあまり感じなくなりました。これまで、人生に対して余りにも希望を持ち続けていたのかもしれません。

ただ、死にたい気持ちはとてもあって、やっぱり死んでやろうと思って、僕が明大まで通っていた千葉駅の総武線快速のホームで、いつ飛び込もうかと思っていました。多分その日一日中そこにいたと思います。お察しの通り、僕はなおも生に執着していて、結局飛び込めず、駅員に声を掛けられて、帰りました。今思えば、君のことを生涯を以て助けてあげるなんて言っていて、自分だけ一人死のうとしたことが、何とも姑息に思えます。

バイトは暫く休んでいました。とにかく、もう何もしたくなくて、泣く日もありましたが、涙さえも出なくなりました。

兼ねてからの腹痛がさらに悪化し、下血が繰り返されたので、病院に行きますと、安倍首相のなった潰瘍性大腸炎という難病の可能性があると言われ、内視鏡検査をしました。

直腸に炎症が見られたため、下手すると潰瘍性大腸炎かもしれません、まだ確定診断はありませんが...。炎症の範囲は広くないですが、潰瘍性大腸炎の場合、最悪死ぬこともあるみたいです。

こう、辛いことばかり、一人で抱え込んでいましたが、君からのお手紙はちゃんと受け取りましたし、とてもとても嬉しいものでした。今でも大切に保管してあります。

今思うと、僕のこの精神的危機を、一番気にかけてくれたのが、めいちゃんだったと思います。一応何人かの知り合いと呼べる者はいますけど、誰一人として、僕に手紙を寄越してくれるほど、心配してくれる人はいませんでした。本当にありがとう。

本当に自分勝手に居なくなったりして、ごめんなさい。許してもらえなくても覚悟はできてます。切ってもらっても構いません。

やっと精神的にも身体的にも安定してきましたので、ここに一応の生存報告をしておきます。まだ病み上がりですが、もう少し早く安心させてあげたかったです。ごめんなさい。でも、本当にメンタルがどん底で、君に迷惑をかけてしまいそうで怖かったのです。

めいちゃんも僕が居なかった間に、色々思い悩むこともあったと思います。余計な心配をかけてしまいました。もう僕のことは心配をしなくて大丈夫です。どうか、今悩んでいる自分自身を大切にしてあげてください。僕はなんとか復帰してきましたから、遠くにいようとも君のことを思い、そしてそばに居ますので、安心してください。本当に無力で頼り無いですが、微力ながら少しは協力もできるかもしれないので、困ったことがあったら言ってください。また関わってくれるならば、LINEに連絡ください。自分から声をかけることもできない臆病な僕でごめんなさい。

気付けばもう冬ですね。毎日凍えるような寒さで、身も心もすくむ気持ちになります。どうかお身体に気をつけてください。

きみのためなら

僕はもう君から殆ど愛されていないことも知っているし、いつの日か君が僕の元から去ることを知っている。いずれ僕は捨て去られていく運命だということは、目を背けつつもとっくのとうに理解しているつもりである。僕と君がこうも長く関係を続けられたのは奇跡のようなものだろう。

多分一緒にはなれないと思っている。僕は君が好きだからそれは耐え難い事実なのだが、多分そうなのだろう。今だって、君のことを一身に信じ続けるには、あまりにも心許ない現状がある。それなのに、僕はそれでも君のために尽くし、君が居なくなるその時まで、離れていても君と一緒にいたいと思う。

僕は君の悲しみをほんの僅かだが知っているつもりである。君の心の奥底にある何かをほんの僅かだが感じることができる。そうしたものを僕が想像した時、僕は君を愛しく思う。どうにかしてあげたいと思う。君が徐に与えてくれた慈悲や優しさが、僕を突き動かす。僕は君の元から離れられないことを悟った。ならば、僕は最後まで君に尽くしたいと思う。そう思えるのは、やはり君の優しさである。それがあるだけで、僕は君のために心を病むことがあっても、なんとかやっていける。

君という人間を、一生を以て信じることができずに、何故心理士が務まるだろうか。人のことを、たとえどんな境遇があれ、病歴があれ、見た目であれ、犯罪歴であれ、性格であれ、一途に信ずることができない人間に、なぜ人一人さえも救えると思えるだろうか。僕は今苦境に立たされている。限りなく僕は君のことを愛し、そして苦しんでいる。しかし、僕はやはり君を信じ続けるだろう。

君が将来どうなるのか分からないが、僕はただ君のそばにいたいと思う。困った時は、可能な限り全力で支えたいと思う。だから、将来のことで困ることはない。あと、4年だ。僕が自立したら、僕は全身全霊で君に尽くすことができる。僕はその時が楽しみだ。だから、将来は心配しないでほしい。ただ、今というこの瞬間を、生き抜いてほしい。なんとか生き延びてほしいと思う。僕はいつか君に幸せを見せたいと、それがたとえ一緒になれないとしても、それだけを生き甲斐にして頑張ろうと思う。だから、心を限りなく大切にして、どんなに最低でも、麻痺していてもいいから、ただ生きていて欲しいと願います。

コマンドー

躁鬱とは言わないまでも、気分がコロコロ変わるみたいです。昨日の午前4時から午後8時まで延々と失意の底の中、苦しみながら寝ていたのに、さっき一人で初めてコマンドーの映画を見たら、気分が戻ってきました。

しょっちゅうネタにされてて、ストーリーも単純明快なんですが、いい映画なんですよね。一途に娘を愛するメイトリックスが、拐われた娘を取り戻すべく、国中を駆け回り、あらゆる荒くれ者をぶっ殺し、一部隊を壊滅させるトンデモ映画なんですが、殺人アクションシーンと、娘を溺愛するシーンの対比がすごく良いのです。コマンドーではなく、子煩悩なんですよ。彼の愛に応える娘ジェニーの愛らしさも堪らないものがある。
僕は本当はここに弱音を吐くつもりでした。でも、辞めました。やっぱりまだ君が僕のことを許さないのは当然で、それほど僕はひどいことをしたのだと改めて実感しました。今の僕はなにを言われても、深く受け止めるしかないのです。だから、僕はいつの日か君が赦してくれるくらい、いっぱいいっぱい君のために、尽くし、愛したいと思います。僕はあのメイトリックスのように、君を救う為なら一部隊を壊滅できるくらいの絶大な愛を以て、そして君のためならすぐすっ飛んでいけるような、そんな男らしい人間になりたいと、勝手に新たな夢をここに打ち立てたいと思います。

最近はついに何もやる気が起きず、ひたすら寝るだけに徹し、課題はさっさと終わらせ、バイトと買い物の時だけ家から出る半ば廃人のような生活になってしまった。

僕はこれまでなにを生き甲斐に生きてきたのか考える。中学の頃は高校入試、高校の頃は大学入試を生き甲斐とした受験人間で、大学に入って燃え尽きたのかもしれない。シンドラーのリストを見て、人に尽くすのが好きな人間である僕は、心理職を志そうと思った、自分自身が神経症でひどく苦しんだからだった。そのために大学院に行かなければならない。だから、僕は心理職になることを夢見て、まだ生き続けている。将来知り合いがインドで不当に働かされ、ストリートチルドレンと化している子どもたちを助けたいというので、一人じゃ危ないから、僕も一緒についていこうなんてことも思っている。

一応生き甲斐というか、夢と呼べるものが無くはないが、やはり僕は君が一番なの生き甲斐である。君が幸せに生きていける、そのことだけが僕の生き甲斐だと思う。君は今まで頑張りすぎただろう。末っ子の僕だから分かる。家族のいざこざや学校でのストレスを、一心に抱え込み過ぎて、辛い思いするのは僕たちだ。それでも必死に生きて、もがいて、君はもう高校を卒業する。ここまで生きてきてくれて僕は嬉しくてしょうがない。なぜなら、彼は高校卒業さえも果たせなかったからだ。

これからは、自分自身で決めていく時代だろう。お互いまだまだ子どもかもしれないが、僕は子どもなりに君のことを助け合いながら生きていきたい。諸々の感情があるだろう。僕に対してはきっと憎しみがあると思う。それと同時に少しくらいは頼りにしているだろう。僕は昔のように君に愛されたいだとか、見返りが欲しいだとか、そんなことは思わない。君の今ある感情だとか価値観を、ただ受け入れたい。僕は君の本来的な優しさに触れてきたつもりだし、君はどんな人間でも赦そうとする博愛的で寛容な心を知っているつもりである。だから、僕は君のことを永遠に愛することができる。君に優しさも寛容さも、微塵に無かったのなら、僕はきっと君の元からとっくの昔に去っているのだ。

君は色々なものを犠牲にして、繊細なる感受性と豊かな芸術的センスが備わっている。君はやりたいことがいっぱいあるだろう。色々な体験もしたいだろうし、表現もしたいだろう。そういった意欲的な面をいつの日か存分に発揮できるような環境を、君にあげることが夢だ。

もちろん、君に何もかも押し付けるつもりはない。ただ自由に生き、君だけの人生を切り開いてほしい。その過程で僕が捨てられるのなら、別にしょうがない。諦めがつくだろう。ただ、君がたった少しでも、僕のことを信じてくれる限り、僕も君のことを信じ続ける。もはや僕は見捨てられたくない気持ちもない。ただ、君のそばに寄り添えればそれでいい。君が不幸の中に身を沈めたいなら、僕は共に不幸の中でじっとしているし、君が幸せの方向へと向かうならば、僕もそれに追従する。

僕が何もかも自立した時には、君がやりたいことなんでもさせてあげるし、ついていくし、京都にだって住まわせてあげたいと思う。僕は君しかいないのだから。

僕は君を一人の人間として尊重している。万人には生まれもった宿命に抗う可能性を秘めている。君がより人間らしく、そしてさらに魅力的に、寛容に、人間として成長していけることを僕は信じている。君がたとえどれほど歳をとろうが、僕は君のそばにいたいと思う。君の数十年後が見たいからだ。僕は君の優しさを知っているだけでなく、君が一人の人間として成長していける様を見たいから、僕はずっと君に付き従う。そして、僕も君のおかげで幾らか成長できるだろう。僕はまだまだ未熟だからだ。