陰鬱

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僕は昔から非常に臆病で、人見知りで、母親にべったりしているような子だった。幼児教室の前で一人泣きながら、母の元から離れることもできないそんな人間だった。今は随分成長できたと思っているけど、未だに臆病で怖くて堪らないことがある。

長い間話していないので、自分から声を掛けるのも烏滸がましいというか、臆病でできません。きっといずれここを見てくれると思うので、もし望むようでしたらまた話しかけてあげてください。

めいちゃんお元気ですか。約1ヶ月半ぶりでしょうか。まず最初に僕は謝らなければいけません。

本当にごめんなさい。何の断りも無しに急に音信不通になって、迷惑も心配も沢山かけてしまった。約束してたレポートもできなかった。本当にごめんなさい。どうか、許してください。

兼ねてから言っていたように、僕は決してめいちゃんのことを忘れてしまったわけでもないし、見捨ててしまったわけでもないです。ずっとめいちゃんのこと忘れずに毎日を死ぬる思いで過ごしてきました。

あの日、突然何もかもが嫌になって、全てを放り出してしまいたい欲求に駆られました。高校を辞めた時以来のことです。諸々の義務だとか欲求だとか人間関係だとか、そういったもの全てから逃れたいと衝動的に思ったのです。

もう誰とも連絡を取る気力も無くなり、スマホも見ずに、暗い部屋に篭る生活をしていました。最低限ご飯は食べていましたが、もう何もしたくなくなり、ただぼーっと部屋を眺めて、静寂の中寝ているのだけが幸せでした。

外界の全ての情報と人間関係を遮断して、僕は無責任にも自分を守っていたのだと思います。でも、そんな中でも色々考えてしまいます。君のこともそうだし、守くんのことも。それから将来のことや、後悔だとか、孤独感だとか。孤独感は不思議に慣れていって、今はあまり感じなくなりました。これまで、人生に対して余りにも希望を持ち続けていたのかもしれません。

ただ、死にたい気持ちはとてもあって、やっぱり死んでやろうと思って、僕が明大まで通っていた千葉駅の総武線快速のホームで、いつ飛び込もうかと思っていました。多分その日一日中そこにいたと思います。お察しの通り、僕はなおも生に執着していて、結局飛び込めず、駅員に声を掛けられて、帰りました。今思えば、君のことを生涯を以て助けてあげるなんて言っていて、自分だけ一人死のうとしたことが、何とも姑息に思えます。

バイトは暫く休んでいました。とにかく、もう何もしたくなくて、泣く日もありましたが、涙さえも出なくなりました。

兼ねてからの腹痛がさらに悪化し、下血が繰り返されたので、病院に行きますと、安倍首相のなった潰瘍性大腸炎という難病の可能性があると言われ、内視鏡検査をしました。

直腸に炎症が見られたため、下手すると潰瘍性大腸炎かもしれません、まだ確定診断はありませんが...。炎症の範囲は広くないですが、潰瘍性大腸炎の場合、最悪死ぬこともあるみたいです。

こう、辛いことばかり、一人で抱え込んでいましたが、君からのお手紙はちゃんと受け取りましたし、とてもとても嬉しいものでした。今でも大切に保管してあります。

今思うと、僕のこの精神的危機を、一番気にかけてくれたのが、めいちゃんだったと思います。一応何人かの知り合いと呼べる者はいますけど、誰一人として、僕に手紙を寄越してくれるほど、心配してくれる人はいませんでした。本当にありがとう。

本当に自分勝手に居なくなったりして、ごめんなさい。許してもらえなくても覚悟はできてます。切ってもらっても構いません。

やっと精神的にも身体的にも安定してきましたので、ここに一応の生存報告をしておきます。まだ病み上がりですが、もう少し早く安心させてあげたかったです。ごめんなさい。でも、本当にメンタルがどん底で、君に迷惑をかけてしまいそうで怖かったのです。

めいちゃんも僕が居なかった間に、色々思い悩むこともあったと思います。余計な心配をかけてしまいました。もう僕のことは心配をしなくて大丈夫です。どうか、今悩んでいる自分自身を大切にしてあげてください。僕はなんとか復帰してきましたから、遠くにいようとも君のことを思い、そしてそばに居ますので、安心してください。本当に無力で頼り無いですが、微力ながら少しは協力もできるかもしれないので、困ったことがあったら言ってください。また関わってくれるならば、LINEに連絡ください。自分から声をかけることもできない臆病な僕でごめんなさい。

気付けばもう冬ですね。毎日凍えるような寒さで、身も心もすくむ気持ちになります。どうかお身体に気をつけてください。