陰鬱

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もう行ってしまわれたのですね。一年ぶりだったので、もう少し話したかったのですが、まあ仕方ないですよね、、。でも、久しぶりに君の声が聴けて、毎日所々で傷つくことがあっても、健気に生きているだけでも、僕は嬉しかったし、僕が生きていく上での糧になると思います。ありがとう。

君は、慕う人が時を経て更に傷つきや怒りを募らせて、かつての優しさや慈悲の心を見失いつつあっても、それでも彼と一緒にいるという選択肢を取るのですね。それは全く間違いではないし、客観的に見たら彼はとても恵まれているし、幸せだと思います。もちろん、その選択は、彼の交友関係を反故にさせてしまった罪悪感故の贖罪なのかもしれない。あるいは、お互いの共依存なのかもしれません。でも、僕は苦しみながらも、それでも一緒にいたいという気持ちはよく分かるし、現に君がそれで耐えられているというのなら、それで良いのかもしれません。

僕は今でもずっと君のことを忘れた日は一度もありませんし、それと同時にまもるくんのことも未だに思い出すことがあります。2人は僕の中でも一際大切な存在なのです。そのために、僕はよく君とまもるくんの2人を対比してしまうことが多々あります。というのも、僕はまもるくんは親友として接していたつもりでした。ただ、彼が居なくなる前までは普通の友人程度の認識だったかもしれません。ただ、居なくなって初めて、僕の元来の孤独感を埋めてくれて、そして僕のような少し変わった人間でも、偏見なく接してくれたその心の清らかさと優しさに気付きました。しかし、一度居なくなって仕舞えば、僕はもうどうしようも手を打つことは出来ず、途方に暮れるばかりです。彼が彼岸の世界へ旅立ち、そして君も居なくなってしまった僕は、何となく寂しい思いで日々暮らしています。

ただ、君は僕の元から居なくなり、情け無い彼と一緒に過ごす上で、とても心身共に成長したと思います。特に、君は傷つきやすさというものを少し克服して、生きていく上で図太くなれたのではないでしょうか。そして、彼の頼りなさがまた、結果的には君を成長させる良い機会となったのでしょう。そういう点においては、彼にも感謝の念を抱きます。確かに、今でも君は経済的な自立や依存の問題といった未解決の問題が残されているかもしれません。でも、君がいったように、完璧主義は誰しろ無理なのだから、一種諦めというか悟りの境地で社会に臨むのが、傷つくことの少ない、一番賢い生き方かもしれません。君は、精神面でも大きく成長したと思います。言ってしまえば、何となく生きているようなそこら辺の同年代の人よりも、多くの苦しみと生きる知恵を知り、しっかりしているのかもしれません。それくらいに、君は昔と比べて見違えるほど成長しました。

こんな成長した君と一緒にいられる彼が、今でも羨ましく思います。他人からしたら、ワガママで甲斐性のない彼となんか、別れてしまった方が君の心身の安定に繋がると、そう考える人も多いでしょう。僕も、その選択が間違いではないし、現実的だと思っています。でも、君にとっては、彼はまた言語や理屈を超えた、かけがえのない存在であり、特別なのでしょう。きっと、最初の頃の彼はとても立派に、そして君の傷つきを癒してくれるロマンチストな風に映ったでしょうし、また直感的にも惹かれるところがあったのでしょう。そんな過去の幸せな時間と、今でも見せる他愛のない、貴重な日常と時間が、君と彼を繋ぎ止める絆となっているのだと思います。だから、僕はただあなたたちの関係を、これからも見守っていきたいと思います。まもるくんとの決定的な違いは、彼がまだ生きているということでしょう。生きているうちは、どれだけ喧嘩をしたり、傷つけあっても、希望があります。いつか、また過去のように一緒に支え合える関係になれるのではないかと。そして、彼のメンタルの問題もどうにか対処できるのではないかと。現実的には難しいかもしれませんが、その可能性は決してゼロではありません。人は変わらないかもしれませんが、やり方次第では徐々に変わってくれるかもしれません。そこは、彼と君の力量次第ですが、どうか無理をしないで欲しいです。親や親しい人に言えないのなら、専門家でも誰でもいいです。どうか一人で抱え込み過ぎないで、また何かあったらいつでもお話を聴かせてください。2人でずっといると、自分たちだけが世界の全てだと錯覚しがちかもしれませんが、君のことを気にしている人もいると思えば、ちょっぴり心強くなれるかもしれません。この先、どういう結果になるか分かりませんが、お互い悔いの残らないようになれればと、切に願っています。

僕も実習で忙しく、数ヶ月後には院試も控えています。連日のように何処かの施設に行ったり、バイトをしたりと、かなりストレスが来てます。教授からのダメ出しに自尊心を潰されることもありますが、これも社会を生きる上での厳しさへの免疫獲得とトレーニングなんだと解釈して、どうにか耐え抜こうと思います。実習と院試さえ終わってしまえば、また精神的にも時間的にも余裕が出ると思います。またいずれ遠くても近いうちでも、話せたら嬉しいです。がんばってね。ずっと応援してるよ。自分を責めることも多々あるかもしれないけど、十分頑張ってるし、成長してると思うから、あまり責めすぎないでね。また、いろいろ近況きかせてください。またね。

最近はなんだか突然涼しくなって、冷夏を思わせる気候です。僕は未だバイトを続けていますが、朝6時はまだ太陽が出たばかりで、この間は夏真っ盛りの癖に、真冬のような肌寒さに身悶えそうになりました。なんだかんだ、君の支えもあって始めたバイトは、もう一年続けることができました。
夏ですね。今はちょいと涼しいですが、また肌が焼ける程の暑さが舞い戻るのでしょうか。酷暑の太陽の下で、暑さに翻弄されていると、僕はあの8月の記憶が頭を掠めます。僕はあの時から夏が、蒸し暑い夏が嫌いになりました。それはただ単に生理的嫌悪だけでなく、僕個人の君に対する罪悪感が、そうさせているのでしよう。
潮の香りがする瀬戸内海と、海を目前に各々がのんびりと過ごしているあの景色が浮かびます。とても、暑くて暑くてやってられない暑さが、海の青々とした明瞭な景色と、僅かに吹く風が、少し心地よい気持ちにさせてくれました。唐突に降り注ぐ晴空のにわか雨も、また君と呼応するような、何とも不思議な雰囲気を醸し出す風土にさせていました。なんとも良い所に住んでいると、少し羨ましく感じたものです。
君はとても可愛く、妖精のように思えた。それは、僕の愛というフィルターによって多少の補正はあるでしょうが、それにしても目が眩むほど可愛かった。僕はただただ君に夢中になって、もう自我というものが消えいっていたでしょう。ついぞ利己的になって、君のことを傷つけてしまった。僕はそれ相応の罰を、その後に沢山受けた思う。哀しみの暑さを駆け抜け、残ったのは虚しさと空虚。でも、君の御姿とあどけない仕草だけが、僕にとっての宝物であり、僅かながら一緒にいた思い出が、今でも目に浮かびます。
元気にしているでしょうか。君は寂しがり屋なだけで、根はとても強いから、多分生きているでしょう。生きていてほしいと思う。彼とは上手くやっているのだろうか。バイトはまだ続けているのだろうか。馴染みの土地に未だ住み続けるのだろうか。聞きたいことは沢山あります。
僕はまもるくんのことを思い出します。人は身近すぎると、その大切さなんてものは影を潜めて、僕の無意識へと追いやられてしまいます。僕は君に対して彼の愚痴を言ったりしたし、陰鬱な彼に対して、半ば諦めの情を呈したこともあった。だから、神は無慈悲に僕に鉄槌を下す。心の支えであれ、友であり、何と言ってもつまらぬ僕なんかに幾度も幾度も関わってくれた彼を、僕の元から永久に連れ去ってしまった。生と死の境界は、余りにも遠く、そして限りなく近い。彼は、一思いに、この不合理と苦痛に満ちたこの世界に別れを告げ、予告なく居なくなってしまった。もう二度と会うことができないのである。彼が死ぬと分かっていたならば、最後に会った時涙を流せただろう。しかし、その運命さえ知らなければ、泣くことも許されないのである。
人生において、大切な人は彼と君である。未だに君のことを忘れることはない。毎日、必ず一日の何処かで君のことを想うことがある。それは、要求的な、エゴイズムな観想ではなく、いつの日か過ぎ去ったあの日々を、振り返るノスタルジアな想起に他ならないのです。あれだけ、君と、そして君を取り巻くあらゆる人間と、その背景を知ってしまえば、忘れようとも忘れられないものです。一年間、短いようで凄く長かったのです。ただ君のことが眼中にあって、僕は僕なりに一途でいて、そして君のサディスティックなところも、時折見せる弱さも、僕にとって君への愛が深まるだけでした。
僕は君に対してもはや何も要求することは無いのですが、いやたった生きているという事実だけがあれば私は満足してしまうのです。初めての恋というものは、大変罪深いもので、それが散って仕舞えば、最早君が僕の中の凡ゆる対象に対しての、価値基準になってしまうのです。そして、今になって、君の言っていたことの正しさを、実感することがよくあるのです。それはお金のことも然り、身だしなみも然り、この世の凡ゆる観念は、二元論で片付けることのできないことも。そして、人から見捨てられる哀しさも。
なんといっても、君は僕の思うほどの人間ではなかった。遥かに思慮深く、感情的に見えて巧妙で、賢い子だと思います。そして、きちんと大事にすべき人は、君なりに大事にする人間なのです。それだのに、僕も、余りにも妄想的で、君のことを沢山傷つけてしまったのです。今更それを謝ったところで、君にとっては既に小ちゃな出来事に過ぎないかもしれません。でも、僕は君を幾度も不安にさせたことを、未だに悔やむことがあります。
しかし、僕なりに傷ついたこともあって、それは決して悪意に満ちたものではないのですが、僕の精神が蝕まれて、愛する故に傷は深く刻まれて、後遺症が残るのでした。腹痛なんてものは取るにたらないのですが、やはり君に対して子どものような無邪気な態度を取れなくなってしまったのが、僕には余りにも辛いことです。僕は概して一先ず信頼できれば、しつこい程積極的に関わるタイプなのですが、僕は後遺症故に、それが憚れてしまうのです。だから、どうしても君をただ遠くから思うような、根性なしになってしまったのです。ただ、それが君に対しての無関心だとか、阻害だとか、そういう風には考えて欲しくなくて、なにか工夫さえすれば、また僕は無邪気になれるのではないかと思うこともあります。しかし、君無き今では、ただの戯言に帰してしまいます。
こんな長文をだらだらと続けて何が言いたいか、理解し難いかもしれませんが、僕が言いたいのは、君のことをどうでもいいとは、未だかつて思ったことなく、今でも君のことを忘れないということです。君が生き抜いたとしても、死んでしまったとしても、一生君のことを忘れないくらい、僕の骨の髄まで君の記憶が刻み込まれて、君無くとも、僕単体が君のことを想い続けるのです。そして、何はともあれ君が幸せになってくれれば、それだけで僕は幸せなのです。これからも、辛いことはありましょう。でも、いつか、心からの平穏が、安心が、幸せが来ることを願っています。それとも、君は不幸を愛するのでしょうか。それも含めて、ただ自由に生きて欲しいと、こんな他力本願な僕を、少しでも心の中で労ってくれれば、僕はもうそれでいいのです。まもるくんが居なくなって、僕の生きる希望というものが、君なのだと思います。

一周忌

つい最近までは、冷夏とも思えるような気候で、バイトの行き帰りもそれ程苦にならぬ、過ごしやすい日々であった。それが、突然のように降り注ぐゲリラ豪雨、毎日が陰鬱な雲に覆われた梅雨が明けた途端、肌に突き刺さるほどの暑さに身悶える、あの夏がやってきた。

あの日からもう一年経った。当時猛威を払っていたコロナは未だ変異株という形で進化し続け、あらゆる人々の心身を打ち砕いている。僕は未だバイトを続けている、圧倒的に歳の離れた後輩が出来ている。当時コロナによるオンライン授業に甘え切っていた僕は、懸念していた対面の実習と孤独に対決することになる。なんだかんだ延期していたオリンピックは開催を強行した。この一年で目紛しく何かが壊れ、再生し、誰かが生き、誰かが死に、幸福と不幸のアンビバレンスがこの地球を覆った。間違いなく時は進んだ、それでも僕と彼との時は止まったままだ。7月27日、そして彼の死を知る30日から。

未だに実感が湧かない。僕は葬式にも参列できず、墓前に立つことすら許されない。いや、やろうと思えばお参りすることができるだろう。それでも、僕は彼の父親から何の連絡も受けていない。僕はそれを礼知らずとか、非常識だとは受け取らない。父親なりの考えがあり、そして苦悩と葛藤があるからだ。それでも、僕はいずれその目で確かめ、そして墓前で泣かせて欲しいと思う。

亡くなった直後は、困惑とショックと驚きで、諸々の感情が複雑に絡み合い、僕は訳もわからぬ躁状態に陥り、朝まで身を粉にする勉学と労働に励み、昼間にようやく身を休めるという、常軌を逸した生活状態になった。その結果、原因不明の高熱に一日中魘された。その高熱は、ストレスフルな彼の死を自分なりに処理するための、エネルギーの消費に対する疲弊のように思えた。自分なりの喪の作業を、身体を崩しながらも、当然の反応の発熱と共に、淡々と僕はこなしていた。そして、気づいた時には熱は収まり、僕の中での悲しみは一先ず影を潜めたと思われた。

夏空は余りにも快活であった。馬鹿でかい入道雲と青色の絵の具をベタ塗りしたかのような、真っ青な青空と輝く光りは、陰鬱な僕には余りにも明る過ぎた。僕の塞いだ感情を、無理やりこじ開けてくれた夏空、バイト終わり、ママチャリに乗って帰路に着く道中、見上げれば僕は勇気づけられた。それと同時に、なぜ青空はこれほどまで悠然と明るく、立派に、ペイルブルーの地球を覆っているのに、これほどまでに残酷で、悲しき人の死というものが、そんな哀しいものが、一緒に存在しているのだろうと。そして、彼が死してなお、青空は素知らぬ顔で、平然と時が進むことに、僕は不条理と不思議と、そして諸行無常な我々の塵芥の如き存在を、改めて知覚するのである。

僕の胸の内から、再び形容し難い哀しみが顔を出すのは、ようやく一年経つ頃になる今頃であった。彼のことを忘れた時は一時足りとも無い。それでも、急激に彼の面影と存在が、僕の中に強烈に立ち現れ始めたのが今日この頃。毎年やって来るツバメの雛は、無惨にもカラスの一群に攫われた。小中学校に通う頃、毎日通っていた横断歩道で、名もわからぬ低学年の子どもが車に撥ねられ亡くなった。ずっと仲良く、親友だと思っていた子の痴話喧嘩に巻き込まれ、仲が悪くなった。哀しい出来事が続いた。そして、ますます僕は実存的に、生きる意味について再び立ち戻り、そして一年という周期に、彼のことを思い、深く落ち込み、虚しさを感じ、哀しさが大部分を占めた。

毎日通話し、気軽に遊べる距離にいた彼。様々な人との交流、貴重な体験、お話、今後の情勢の展望、メンタルヘルスに関すること、持論を交わせ、偶には言い合いになり、お互い譲れないこともありながら、それでも互いの意見を尊重し、将来に期待を膨らませ、約束を交わし、色々な人と出会い、そして皆で助け合えたらいいね、と。そんな他愛もないことから、恋愛、人生哲学的なことまで、何でも気兼ねなく話せた彼。僕には余りにも身近過ぎ、そして大切なものは近すぎる故の悲劇、僕は彼の価値を見失い、彼のトラウマを受け入れたつもりになって、それでもなお彼は疲弊していって、最後は人知れず命を絶ったと思うと、僕は余りにもやらせない気持ちになる。今になってもっと助けてやれたと、一日でも長く生きれたのではないかと、終わったことだと思って諦めはついているが、罪悪感の伴う永遠の重き十字架を、僕は若いうちに背負ってしまった。

自死に関して、僕は未だに答えが見つからない。僕が所属する大学のゼミの先生は、救急医療を担当し、特に自殺を図った人間を担当している。先生は当たり前のように自死はしてはいけない行為だと言う。僕も常識的にそうだと思う。それでもなお、僕は自死を否定してしまえば、彼を、そして彼の人生を否定することに繋がるのではないかと思う。彼の最後の最後に選択した一縷の希望の綱、光が自死という選択肢だったのかもしれない。この世には尊厳死安楽死といった生命倫理の問題があるが、僕は誰しも万物の尺度は人間で、それぞれの価値観があって、数学のように絶対的な真理、解は存在しないと思っている。僕は、自死という問題に関して、答えは出せない。答えは出せないから、人は考え続けるのである。僕は彼の死を以って、一生この命題に対決し、自分なりの答えを見つけ続ける人生になるだろう。これは側からみれば単なるエゴイズムかもしれないが、これが僕なりの彼への供養であり、償いだと思っている。

彼のことだから、僕のことを恨むどころか、感謝しているだろう。本当に申し訳ない、まだまだ未熟者だと思う。それでも彼はきっと見守ってくれているだろう。そう思うとなんとかこの辛いことの多き艱難辛苦の世の中を生きていける。僕は青空と闇を煌々と照らす月夜が好きだ。ふと僕が空を見上げ、物思いに耽った時、僕は彼が其処に居ると信ずる。僕は君を二度と忘れない、だから、どうか暖かい目で、僕を許して欲しい。

親のツバメはその後も奮闘し、卵を産み、5匹が孵り、そして今親と共に巣立とうとしている。毛高き子達よ。

君へ

 あまりに唐突な別れだった。ちょうど父方の祖父が亡くなった通夜が終わり、LINEを見ると君のお別れのメッセージが目に入った。通夜の疲れと、祖父の儚く尊げな亡骸を目の当たりにして、雨水滴る道すがら、僕は君が居なくなることを知った。通夜や日頃の諸々の疲れからか、そのメッセージはあまりにも唐突で、僕は呆気に取られ、その場では何の感情も抱かず、ただその事実を事務的に受け止め、帰路に着いた。

 正直に言うと、まだ君のことを深く愛し、その愛の灯火が燃え盛っていた頃であったら、その衝撃に涙を浮かべ身震いでもしていただろう。でも、僕は君が去る事実を淡々と受け止めてしまった。僕の心は君の元を離れ、もう恋愛心というものは、消えいってしまったと思った。

 しかし、通夜も終わり、日々の体の疲れも取れ、やっとほんの一息心の余裕ができた時、僕は何か物思いに耽る時間的精神的余裕を得た。こうして僕の観想の材料となるのが、専ら過去の想ひ出である。小中学校での苦難多き中にも楽しみがあった学校生活や、今や疎遠になった知人たちとの想ひ出を回顧すると、何となく今の空しき現状と孤独な身の上を思って、どうしようもない虚無感に襲われる。そうして、僕の記憶の中でもとてつもなく異彩を放ち、そして儚くも美しき記憶が、君だった。たった一年と少しの思い出で、長い間話もせずにいた空白の期間があるにも関わらず、君との短い期間は、僕にとって宝物であり、生きる糧である。今でもそうだ。結果的にお互い傷つくことも多く、どちらかと言うと辛いことばかりだったかもしれない。それでも、たった少しでも君から愛されていた事実と、君と本気で向かい合えた日々と、一緒に映画を見たり、通話したりした思い出は、僕の中で永遠のものとなり、そして今も色褪せることの無い想ひ出だ。今になって言えるが、いや君から離れてみて初めてわかったことだが、君と出会えて本当に幸せだった。そして、何よりも僕が今後誰から愛されて、僕が誰を愛しようが、僕は君を一番愛していた。それは揺るぎのない事実だ。

 君との一年の間に、僕のライフイベントも色々な変化があった。ケチな守銭奴にも関わらず、君のためとバイトを始めたり、コロナ禍の学校生活はオンラインだった。君との関わりを通して、傾聴や批判無くありのままに相手を受け止める重要性を知り、そして何よりも愛される幸せを知ったと思う。それが叶わぬ永遠の幸せであったとしても。君のおかげで、僕個人は大きく成長し、社会性と思い遣りというものを、深く知れた気がするのです。君のおかげで成長できたと思うのです。

 そんな君に対して、君がたまに漏らしていたように、僕は恋愛心を失くしてから、何となく君から興味や隣人愛といったものを、徐々に失ってしまっていたと思う。君が苦しい時になるべくラインや通話をできるように心掛けたが、それはどれも事務的なもので、そこに積極性や慈愛の念というものが欠けていたことは認めざるを得ないと思う。本当にごめんなさい。自分的にも情緒が安定しなかったり、ストレスに弱いタチであるけれど、昔のような自己犠牲的な愛を失ってしまっていた。

 いつか、このブログに僕はサン=テグジュペリ星の王子さま』の一節を載せていたと思う。星の王子さまが自分の惑星に自生した薔薇に恋をする。その薔薇はとても生意気でありながらも、繊細で美しく、そしてその薔薇とお別れして、星の王子さまは初めて一番身近に存在した薔薇の尊さと、その愛情を知るのである。僕はその薔薇を勝手に君に例えていた。恥ずかしい話だが。

 人は失って初めて大切なものに気付く。その大切なものは、概して身近な存在であると思う。それが君なのだろう。まもるくんを亡くした時もそうだ。最初は呆然としているが、失った代償は後にひしひしと私を締め上げるものである。身近過ぎる故の悲劇。私が彼からどれほどの勇気とそして愛情を貰っていたかと思う。僕のような偏屈な人間に、興味を持ってくれて、そして率先して僕と関わってくれた彼。僕は彼から知らぬうちに寂しさを埋めてもらい、そして生きる意味を見出していたのでしょう。

 それは君も同じだ。君はとてもとても僕にとって身近であって、なにとなく、君のLINEで繋がっているだけで、おそらく心の何処かで安心していたのでしょう。しかし、安心は慢心でもあります。身近過ぎると、ついその有り難みも忘れて、つい態度は尊大になってしまうものです。そして、いざ君が居なくなってしまうと、僕の心はぽっかり大きな穴が空いたようで、その穴から世間の厳しさと冷たさの風が吹き抜けていくもので、なかなか辛いものがあります。私は馬鹿なものです。今になって君の尊さに気付いた。ここ最近なんだか陰鬱な気持ちでいたが、その大きな要因になっているのが、君の喪失でしょう。

 僕のような風変わりで、馬鹿げた人間に、君はたくさんお話をしてくれて、たくさん君のことを聞かせてくれて、そして僕の寂しさを埋め、楽しませてくれた。もうそこに愛情の有無は関係ないと思う。僕とこんなにも長く、そして深く関わってくれた君には、感謝してもしきれない。君の孤独感が原動力となっているのか分かりませんが、君のその無邪気で構ってちゃんな所は、とても可愛らしく、女の子らしく、そして一番の魅力ではないでしょうか。私は何よりもそこに惹かれたのかもしれません。きっと君がストレス無く、不自由なく暮らしていれば、より快活で明るい子であったかもしれません。けれども、今まで苦しみを知ってきた分、君の繊細な感受性や芸術的側面を養ったとも言えるでしょう。何よりも、知的で繊細な側面を有しながらも、度々見せるおてんばな姿の二面性は、君をより輝かせているのでしょう。

 ここ最近は色々と大変だったみたいですね。彼のことで悩むこともあれば、教習所での理不尽な仕打ちにも耐えてきた。ここまでのストレスフルな出来事が一気に訪れることはそうそう無かったでしょうから、とてもつらいと思う。今になって思うが、もっと君を労い、肯定して、褒めてあげたかった。ごめんね。こんな場を借りるのはとても残念だけど、本当によく頑張ったと思う。君は誰が思っているよりも、案外辛抱強く、そして悲しみに打ち勝つ力を持っていると思う。君は如何なる時も、結局はは一人で立ち向かってきた。本当に偉いと思う。頑張ったね。

 そんな君だからこそ、僕は幸せになってもらいたいと思う。今の恋人であろうが、他の恋人であろうが、誰かにありのままに受け入れて貰って、そして得られなかった分と今まで頑張った分、沢山愛してもらって、そんな幸せな日々が来ることを願っています。正直、君の話から推察するに、恋人はとても誠実でしっかりしているとは思えない。将来的にもおそらく破綻するのではないかと憂慮している。でも、そんな他人の心配は、君にとって関係ない。そこに確かな愛があるなら、きっと永遠の愛を成就できる可能性は大いにある。だから、何があっても彼を信じ続けるといい。僕は一年しか信じられなかったが、それでも僕は君を愛し続けたつもりだ。少なからず、変わってくれると信じて。そして、君はちゃんと今変わっているのだから。僕は他人からどう言われ、どう思われようが、君を愛し信じ続けたように、今度は君がその人を信じ続けるといい。

 ただ、どうか怒りをぶつけて、罵詈雑言を彼に浴びせるのだけは控えたほうがいい。そこに、愛はもうないと思う。愛故の怒りであろうと、相手には決して伝わらず、伝わるのは不信感だけである。これからも、辛いことや怒り、諸々の衝動的な感情を抱くと思う。それを、他の人なり、発散させるのがやはり大事だと思う。人は助け合い生きていくのだから。彼は繊細だから、余計気をつけた方がいいだろう。

 僕は彼に依存して、他の人と関わるのを辞めるのはあまり良くないと思う。やはり、色々な人と交流し、視野の幅を広げた方が、視野狭窄にならないし、それにストレスの発散にもなるだろう。依存はまた愛の一形態かもしれないが、かといって健全な形とは言えないと思う。一対一で愛し合うのが、究極的な愛の形態かもしれないが、そこに綻びが生じた時、その関係は最も容易く滅びてしまうと思う。だから、辛い時はまた僕の元に帰ってきてくれ。別にまた愛してくれとは微塵も思っていない。ただ、君が一人で苦しむのは嫌だし、僕もまた君と話したいのである。

 僕と君は恋人にはなれないし、結婚することもないだろう。でも、良き親友にはなれると信じている。残念だが、僕は君の怒りや理不尽さのトラウマをあってか、関わることに萎縮していたが、今度もし君が帰ってきた時は、より一層君と関わって、仲良くしたいと思う。だから、君もなるべく僕のつまらぬ話にも耳を傾けて、穏やかに接して歓迎して欲しい。そうしたら、僕は君をまた大事にできるだろう。君は四国の僻地から都会へと身を移すか分からないが、もし君が僕の近くに居を構えたとするなら、たくさん遊ぼうではないか。それに困った時はお互い協力しようではないか。大人になって自立すれば、出来ることもたくさんあるだろう。君がどう思っているか知らないが、僕は君を今でも大事に思っている。だから、もし君がまたいつか僕と関わってくれる日があるなら、僕はそれを待ち続けている。かつての旧友も、まもるくんも失った僕にとって、君は数少ない親友だと思っている。恩返しする時を楽しみにしている。もう君にたいして関心がないと思っているかもしれないが、僕は君のことをまだ大事に思っている。それを伝えたかった。

 長くなってしまった。色々と迷惑をかけてしまったと思う。勝手に異性と関わったり、人間不信になるような不安な言動も沢山とった。君の愛を蔑ろにして、泣かしたこともあっただろう。本当にごめんなさい。まだあの頃、僕は愛というものを知らず、女の子の気持ちというものも知らず、そして理性ばかりに目が眩んで、愛情や信頼、安心といったものについて何も知らない無知で大きな赤子に過ぎなかったと思う。いつか君の目の前で全て謝りたいと思う。

 君なりの幸せを掴んでほしい。そして、君なりの生き方で、どうか生きていって欲しい。やはり、人は生きているからこそ、尊いものだと思う。今後君と会うことがなくても、君が同じ星の下で生きているというその事実だけで、僕はどれだけ救われるだろう。いつ帰ってきてもいい。今度はなるべく僕も君を大切にしようと思う。今までありがとう。また逢う日まで。お元気で。


2021/3/30

一年も関わっていたから、まだ不完全燃焼で、思い残すことがある。だから、ここにそれを書いて本当の最後にする。


君と関わる時、常に境界例を意識しなかったと言えば嘘になる。君と境界例は一心同体であったかもしれないが、僕にとっては別個のものであった。それに、君は人格障害だと思われるのは凄く嫌だったと思うから、極力意識しないつもりでいた。


僕は境界例有る無しに関わらず、君を心から愛していた。一途な愛に境界例は何も作用しなかった。僕は君そのものを心から愛していて、境界例はもはや何の問題でもなかった。


しかし、境界例的な言動に苦しめられることは多々あった。慢性的な虚無感や寂しさ,些細なことで怒ってしまう易怒的なところも、理想化と凄まじい程のこき下ろし,激しい対人関係。たとえ僕が悪くとも、おぞましい言葉で僕を罵り、こき下ろされ、僕以外の人と恋愛関係に発展しては途切れていくその様に、僕は何度も傷つけられ、ボロボロになった。いくら説得しても、ほんの少しでも価値観を受け入れてもらえなくて、本当に哀しかった。


でも、これは境界例という一つの深い深い敵であって、本当のめいちゃんはきっと良心的で、優しくて、いつか分かり合える人だとこの1年間信じてきた。僕を罵るのも、僕を一途に信じてくれないのも、今まで辛い思いしてきた全ては、境界例という敵のせいであって、そいつのせいで、めいちゃんの優しさや魅力が曇ってしまうのだと思っていた。本当のめいちゃんの優しさや良心を信じて1年間過ごしてきた。一途に信じていた人から、ボロクソに罵られようと、よく分からん人とラブホに行かれようが、何度もブロックされようが、誰かに養ってもらうとか言われようが、境界例のせいであって、決してめいちゃんが望んでしているのではないと、ずっと信じてきた。


でも今回の件で、僕はやっと認めざるを得なくなった。君の境界例という別個の敵が、君を憤怒へと導き、こき下ろしとも呼べる罵倒をさせたのは今までの経験上分かっていた。でも、そこで発した言葉に、君の性格というか、君そのものが現れたことに気付いてしまった。

身なりも気遣いもできない恥ずかしい人間で、皮膚疾患のせいにしている何もできない無能な存在。仕草も喋り方も平均以下。


こんなレッテルを一方的に貼られて、なぜ僕は君と関わり続けられるだろう。仮にこれが事実だとしても、相手を傷つけることになるのは容易に想像できると思う。


僕はもう哀しくて一人泣いた。泣きたいのはこっちだった。この台詞は君そのものが吐き捨てたもので、決して境界例のせいではないからだ。君の中に閉じ籠もっていた性格や人徳というものが、あらわになったのだと思う。ここまで生々しく響く罵倒は未だかつて聞いたことがなかった。一年信じてきて、言われる言葉はこれなのかと、絶望した。境界例が言わせたのではない、君自身が発した言葉であり、僕を心から見下していることが初めてわかった。



前々から僕はよく罵倒されていたから、僕は本当に罵倒されるべき存在なのか確かめたかった。だから、色々な子と関わってみた。確かに気遣いは無いかもしれない。歩かせてしまうこともあったし、奢ったこともない。でも、誰一人から文句を言われたこともないし、他の人と揉めたこともない。それに、僕の身なりや気遣いがどうであろうと、凄く気に入ってくれている。見下される関係ではなく、リスペクトしてくれている。なぜ君だけが僕の身なりや気遣いを気にするのか。身なりや気遣いが良ければ、心なんかどうでもいいのか。



君が僕の手を受け入れてくれたこと、それだけで一生大切にしようと思っていた。たったそれだけのことかと思うだろうけど、初めて僕のコンプレックスを受け入れてくれた唯一の存在だったから、嬉しかったんだ。僕はその良心を信じ続けてきたんだよ。境界例なんかどうでもよかったよ。魅力なんていらなかったよ。本当に好きだったんだよ。好きになる理由はたった一つで良かった。一生そばに居たいと思ったし、養うつもりだった。親にも言ったことがあったよ。本気だったよ。



本当はね、これからも君が誰と関わろうと、どんなに罵られようと、何度突き放されようと、愛し続けたいよ。でも、僕は燃え尽きてしまった。君から与えられた愛によって、その愛は燃え盛り、消えゆくことを知らない。その愛の炎は増していくうちに、僕自身を焦がしてしまったんだ。燃え尽きていく僕は、君からもらった愛はもはや呪いに変わってしまい、僕自身の一途な心を壊してしまったんだよ。きっと君が僕に愛をくれなければ、ただの友人でいれば、僕は一生君と関われたし、お互い傷つけ合わずに済んだ。君が管理人や他の人と長く関われているのは、その人たちは君のことを好きではないからだろう。本当に好きだったら、君が色々な人に愛を振り撒くのを見ていたら、気が狂いそうになるだろう。愛は不可逆的なもので、一度愛されてしまったら、二度とその事実は取り消されることはないのだから。



きっとこの文章も支離滅裂で、馬鹿げたものだと一蹴されるのが目に見えている。そして、僕は君の中で最悪な人間として終わる。それでも、君はいつの日か思い出すと思う。僕のダメな部分だけでなく、僕のほんの少しでも良かった部分を、そして僕が君を心から愛していた事実を、何年の時を経てようやく気づいてくれると信じている。でも、その時にはもう遅いのだ。僕はもういないだろう。時期が悪かった。

おわり

もうここに何かを書くことは無いです、これを最後にします。LINEで言ってくれればブログを閉じます。

僕が君の境界例を悪化させてしまったのですね、本当にごめんなさい。

全部僕が悪いことにして、そして僕を心から恨んで、今いる人を大切にするのが良いと思う。

言い訳と思われても構わない、でも僕は本当に君のことを愛していた。君の境界例を悪化させた最たる要因は、僕の“不器用”さ、これに尽きるでしょう。

人が不安に苛まれ、悲しんでいる時、僕は君を安心させられなかった。慰められなかった。僕は人を安心させる技術がないのでしょう。余計なことを言って、また苦しめてしまうのでした。

上手く表現することも、すぐに行動することもできなかった。きっと上手な人は、コミュニケーションが上手いのだろう。君を上手く包み込むような、そんな話し方があるのでしょう。行動も出来ない、きっと自分を優先していたからなのでしょう。

気遣いも身なりもダメ。そういう非言語的なコミュニケーションが僕には苦手なのだと思う。君の言っていた通り、皮膚疾患のせいにしてたんだろうね。容姿に関して自信のある人は羨ましい。

表面的なとこは何もかもダメだから、信用されないし、結果恨まれることになる。僕はもう少し器用な人間になりたかったよ。もう少し気遣いができて、話も上手かったら、良かったと思う。心を綺麗に保とうとしても、不器用なら愛されない。不器用な人間に長く付き合わせてしまって、ごめんね。

本当に愛していたよ。死ぬほど愛してたよ。まさか気遣いとかお金の価値観とか、そんなことで人格否定されると思わなかった。紆余曲折あったけど、あの夏の前まで、君は一番僕を信じてくれていただろう。だから、今だって君は僕なんかのことで悲しんでいるんだろう。

きっと心は関係ないんだろう。どれだけ君のことを想って、将来を考えて、君の境遇を考えていようが、気遣いができなければ信用されないのだと、初めてわかった。

これが最後だから聞いて欲しい。多分君は僕を信じていたと思う。信用の次にくるのは、欲だ。

君は幾度かお金を要求する時があった。普通対等な関係ならお金なんて要求しない。不安からだと思うが、家族やお金や友達をどこまで捨てられるかなんて言うこともあった。僕は家族だって友達だって大事だった。少し約束に遅れただけで物凄く怒られることもあった。些細なことで怖いほど怒られることがあった。どうか感情が昂っても、酷い言葉だけは浴びせてはならない。

哀しいよ。君は人と親しくなればなるほど、欲が溢れてくる。お金が、薬が、人間関係が、約束が、伝え方が、、、。苦しかったよ、なんでお金あげるのが愛なのかと思ったよ。身なりも気遣いもダメでも、愛してたよ。

僕は君の関わってきた人たちが悪いと思ってる。馬鹿な大人たちだ。君にホイホイお金をあげて、薬を渡して、未成年にタバコを吸わして。そんな関係が健全なはずがない。挙げ句の果てに無責任に君の元から離れていった馬鹿な大人たちだ。君の中でその価値観が常識となったのだろう。だから、きっと僕と最後まで合わなかったんだろう。

今大切にしている人には、決して欲を出してはいけない。君は自立する不安と、どこまで相手が尽くしてくれるか見極めるために、欲求が出るだろう。どうか自制したほうがいい。お金の関係は脆い。そして、相手と価値観が合わないことがあっても、受け入れてあげてほしい。僕の価値観は君に受け入れられることはなかった。別に僕の価値観が正しい訳ではない。でも、相手の考えや価値観を少しでも受け入れてあげるのが、対等な関係というものだろう。

普段LINEに書いても相手にされないと思うからここに思うことを書いた。多分今どれだけ大切にしていても、君はまた欲を出すだろう。僕は一年君と関わったから、今後の成り行きも大体わかる。こんな自分が愛されていいのか。その文言は僕が関わっていた最初期によく聞いた。まだ信じてくれて、心を見てくれていた時だ。

僕との経験を踏み台にして、誰かを大切にしてあげてくれ。僕は退くのがお似合いだ。

海の初日の出なんてエモいじゃないか。あれが瀬戸内海というものだ。東京湾なんかと比べると透き通っていて、心地良いだろうなぁ。いやぁエモいね。僕はこういう気遣いができない不器用な人間だと改めて感じる。いい人だと思うよ。一途に愛してあげて、君はもう幸せになる時がきた。僕が悪いと思うなら、散々僕のことを恨んで、その分その人を愛してあげて。1年間ごめんね、ダメな男だったよ。全然安心させられなかったよ。気遣いもできなかった。本当ごめんね。束の間の幸せを君はくれたよ。ありがとう。本当にごめんなさい。二度と忘れることはないよ。今ある幸せを大事に大事にしてね。

最後に

見捨てる気はないよ。見捨てられる辛さは死ぬほどわかる。どうしてもどうしても人生八方塞がりで、路頭に迷って、もう死ぬしかなくなったら、千葉県の僕の住所を目指すと良い。その頃にはもう僕は自立しているだろうし、もう少し気遣いできる人間になっているだろう。その時にはどうか惨めな僕を許してやってほしい。もう君が幸せを掴んだというのなら、来なくて良い。きっぱり僕のことは忘れてしまうといい。

もう僕のことは忘れるに越したことはない。クズで恥ずかしい人間なのだ。そんな人間を信じていても意味はないだろう。僕が察するに、君は見捨てられたくない大切な誰かがいるのだろう。信じるべきはその人ただ一人じゃないだろうか。君を取り巻くつまらぬ人間が数多いるだろうが、そんな人間の相手をする必要はないだろう。君が他の人に愛を振り撒き、他の人を優先でもすれば、その人は愛想尽かして居なくなるだろう。見捨てられたくなければ、ただその人を愛して欲しい。お願いだ。一人の人間を愛さずに、沢山の恋愛を優先させてきた人の行先は孤独だろう。

僕もずっと君のことを一途に愛していたかった。なんかよく分からない人と関わり始めたのも、初めてしねだとか言われたのも、全く通話することがなくなっても、何度ブロックされても、僕は一途に愛し続けていたつもりである。君の良心を信じていたからだ。でもその代償は大きく、お腹を壊すし、精神的に疲弊するし、君を想うあまりまもるくんを疎かにしてしまった。

君との関係で僕は凄く悩んだ。それを一人の人によく相談していた。早く君のことを忘れろと何度も言われた。大切にされてないし、下に見られていると言われた。でも、僕は君を信じ続けていたから、そうしなかった。ずっと愛し続けていたかったから、本当に悔しい。

これ以上関わり続けても、僕はずっと精神的に悩み続けるだろうし、身体的にもボロボロになってしまうと思った。それに、もう僕は君から信用されていないし、見下されているだけだと思ったから、僕は居ない方がいいと判断した。本当に勝手なことをしてしまってごめんなさい。

どうか今いる誰かを愛してあげてくれ。もう僕は忘れてくれ。ブロックでもしてくれ。きっとその人は自分だけを見つめてほしいと思っているはずだ。その要求に応えてあげてくれ。大切な人を裏切らないであげてくれ。その人は君のことを愛してくれているだろう。

今日で20歳になった。今までありがとう。君がかけてくれた言葉はトーク履歴が消えてもちゃんと覚えている。どうか生きていてほしい。