陰鬱

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忘れずに

僕はエピソード記憶というものは、人よりもそこそこ機能していると思う。学生時代のいろいろな思い出だとか、クラスメートの大半は覚えている。絶対忘れない。楽しいことも辛いことも。

だから、僕がしてしまった最悪なことも、全部覚えている。君に酷いことをしてしまった数々のことも、全部覚えている。だから、その罪悪感と後悔でしばしば胸が引き裂かれる思いがする。あの頃の僕はただの未熟な未熟な、無知で生意気な子どもであったと思う。今もきっとそうなのだろう。引きこもっていた時だって、大半はそのことを考えていた。僕にとって一番辛いことは、君のことを本気で愛していて、人生を君に捧げたいと思っていたのに、結局君のことを傷つけることしかできなかった哀れな末路、報われない結果に泣いている。許してもらおうとは思っていない。君のことを傷つけた代償は一生償うつもりだ。僕も君のことを傷つけたことはちゃんと理解していて、あの日を境に僕はもう君と関わる権利もないから本当は消えようと思っていた。だから、君が今もこう関わってくれるだけで、それだけで僕は幸せだし、申し訳なさでいっぱいになる。

以前知り合いと中野ブロードウェイに行った時、そいつはゴジラが好きで、色々なゴジラのフィギュアがそこに売ってるのである。何十万もするものもあれば、小ちゃい数百円〜数千円のものもある。欲しい欲しい言ってるのに、買わないのである。お金が勿体無い、家のスペースが無くなると言って。僕は心底ムカついた。お金はあるのに使わないのである。帰りに富士そばでそばでも食べようとしたら、お金が勿体無いから一人で食えという。ここで僕は気づいた。昔の僕もきっとこんな感じだったのだろう。価値観は別として、人の好意だとか提案だとかを反故にして、そこまで倹約的になるかと、、。僕は昔の自分を見ているようで、辛かった。そして、僕は心底不快な思いをさせてしまったと、心から感じた。


1ヶ月引きこもって、もはや死んでもいいと一度でも思うと、もはや生への執着だとか、欲望だとか、憧れだとか、そういったものは薄れてしまった。もはや僕は君から愛されたいとも許されたいとも思わないし、君が色々な人と関わって嫉妬することも無くなった。君のことを今も愛しているし、ただ君が思うままに自由に生きてくれたら、どれほど嬉しいかと思う。

僕はできる限り君に協力しようと思う。きっと協力したり行動に表さなければ、僕の君への愛も、きっと証明されないからだ。他の人はきっと簡単には協力してくれないだろう。皆自分が大切だからだ。僕も何から何まで協力できるかは分からない。ただ言えることは、もう君の元から離れるつもりはないことだ。心理的にも物理的にもどれほど離れていようが、僕は君の側にいるつもりだ。君が苦しんでいれば、きっとその時は僕も苦しんでいる。君が幸せな時は、僕もきっと幸せになるだろう。君の喜怒哀楽を僕は共にして、僕を踏み台にしてでも、君は幸せになるべきだ。僕という土台がいなくなれば、きっと君は安心して生きていくことが難しくなるかもしれない。だから、僕はただ君の元で存在したいと思う。仮にまた精神的にも身体的にも崩れてしまったとしても、必ず戻ってくる。何ヶ月先何年後先になろうが、必ず戻ってくる。僕が死なない限り、そして君がいつか死ぬその時まで、僕は側にいさせて欲しいと思う。そして、一生愛させて欲しい。

心の支えであった守くんも亡くなり、一年以上関わっていて、死にたい時は通話もして慰めてくれていた人にも最近ブロックされた。僕も捨てられ、別れられる時の心痛な気持ちはひどく理解できる。ネットでは簡単に関係を切る人がいるが、僕はそんなことはできない。ずっと繋がっていれば困った時になんとかしてあげられるかもしれない。だから、僕は死ぬまで君の元で大人しくしているから、君は恋愛だって創作だって悩みだって人生だって自由に享楽して、生きていって欲しい。君は生きる価値がある。僕にとっても他の人にとってもきっとそうだ。なによりも魅力的だから。もちろん命の価値は平等だが、君ほど愛しい人間が死んでしまうのは堪え難いものがある。20になれば誰も口出しできない、諸々の義務や法から解放される。取り敢えずその時まで生きていて欲しいと思う。僕も協力するから。