陰鬱

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一周忌

つい最近までは、冷夏とも思えるような気候で、バイトの行き帰りもそれ程苦にならぬ、過ごしやすい日々であった。それが、突然のように降り注ぐゲリラ豪雨、毎日が陰鬱な雲に覆われた梅雨が明けた途端、肌に突き刺さるほどの暑さに身悶える、あの夏がやってきた。

あの日からもう一年経った。当時猛威を払っていたコロナは未だ変異株という形で進化し続け、あらゆる人々の心身を打ち砕いている。僕は未だバイトを続けている、圧倒的に歳の離れた後輩が出来ている。当時コロナによるオンライン授業に甘え切っていた僕は、懸念していた対面の実習と孤独に対決することになる。なんだかんだ延期していたオリンピックは開催を強行した。この一年で目紛しく何かが壊れ、再生し、誰かが生き、誰かが死に、幸福と不幸のアンビバレンスがこの地球を覆った。間違いなく時は進んだ、それでも僕と彼との時は止まったままだ。7月27日、そして彼の死を知る30日から。

未だに実感が湧かない。僕は葬式にも参列できず、墓前に立つことすら許されない。いや、やろうと思えばお参りすることができるだろう。それでも、僕は彼の父親から何の連絡も受けていない。僕はそれを礼知らずとか、非常識だとは受け取らない。父親なりの考えがあり、そして苦悩と葛藤があるからだ。それでも、僕はいずれその目で確かめ、そして墓前で泣かせて欲しいと思う。

亡くなった直後は、困惑とショックと驚きで、諸々の感情が複雑に絡み合い、僕は訳もわからぬ躁状態に陥り、朝まで身を粉にする勉学と労働に励み、昼間にようやく身を休めるという、常軌を逸した生活状態になった。その結果、原因不明の高熱に一日中魘された。その高熱は、ストレスフルな彼の死を自分なりに処理するための、エネルギーの消費に対する疲弊のように思えた。自分なりの喪の作業を、身体を崩しながらも、当然の反応の発熱と共に、淡々と僕はこなしていた。そして、気づいた時には熱は収まり、僕の中での悲しみは一先ず影を潜めたと思われた。

夏空は余りにも快活であった。馬鹿でかい入道雲と青色の絵の具をベタ塗りしたかのような、真っ青な青空と輝く光りは、陰鬱な僕には余りにも明る過ぎた。僕の塞いだ感情を、無理やりこじ開けてくれた夏空、バイト終わり、ママチャリに乗って帰路に着く道中、見上げれば僕は勇気づけられた。それと同時に、なぜ青空はこれほどまで悠然と明るく、立派に、ペイルブルーの地球を覆っているのに、これほどまでに残酷で、悲しき人の死というものが、そんな哀しいものが、一緒に存在しているのだろうと。そして、彼が死してなお、青空は素知らぬ顔で、平然と時が進むことに、僕は不条理と不思議と、そして諸行無常な我々の塵芥の如き存在を、改めて知覚するのである。

僕の胸の内から、再び形容し難い哀しみが顔を出すのは、ようやく一年経つ頃になる今頃であった。彼のことを忘れた時は一時足りとも無い。それでも、急激に彼の面影と存在が、僕の中に強烈に立ち現れ始めたのが今日この頃。毎年やって来るツバメの雛は、無惨にもカラスの一群に攫われた。小中学校に通う頃、毎日通っていた横断歩道で、名もわからぬ低学年の子どもが車に撥ねられ亡くなった。ずっと仲良く、親友だと思っていた子の痴話喧嘩に巻き込まれ、仲が悪くなった。哀しい出来事が続いた。そして、ますます僕は実存的に、生きる意味について再び立ち戻り、そして一年という周期に、彼のことを思い、深く落ち込み、虚しさを感じ、哀しさが大部分を占めた。

毎日通話し、気軽に遊べる距離にいた彼。様々な人との交流、貴重な体験、お話、今後の情勢の展望、メンタルヘルスに関すること、持論を交わせ、偶には言い合いになり、お互い譲れないこともありながら、それでも互いの意見を尊重し、将来に期待を膨らませ、約束を交わし、色々な人と出会い、そして皆で助け合えたらいいね、と。そんな他愛もないことから、恋愛、人生哲学的なことまで、何でも気兼ねなく話せた彼。僕には余りにも身近過ぎ、そして大切なものは近すぎる故の悲劇、僕は彼の価値を見失い、彼のトラウマを受け入れたつもりになって、それでもなお彼は疲弊していって、最後は人知れず命を絶ったと思うと、僕は余りにもやらせない気持ちになる。今になってもっと助けてやれたと、一日でも長く生きれたのではないかと、終わったことだと思って諦めはついているが、罪悪感の伴う永遠の重き十字架を、僕は若いうちに背負ってしまった。

自死に関して、僕は未だに答えが見つからない。僕が所属する大学のゼミの先生は、救急医療を担当し、特に自殺を図った人間を担当している。先生は当たり前のように自死はしてはいけない行為だと言う。僕も常識的にそうだと思う。それでもなお、僕は自死を否定してしまえば、彼を、そして彼の人生を否定することに繋がるのではないかと思う。彼の最後の最後に選択した一縷の希望の綱、光が自死という選択肢だったのかもしれない。この世には尊厳死安楽死といった生命倫理の問題があるが、僕は誰しも万物の尺度は人間で、それぞれの価値観があって、数学のように絶対的な真理、解は存在しないと思っている。僕は、自死という問題に関して、答えは出せない。答えは出せないから、人は考え続けるのである。僕は彼の死を以って、一生この命題に対決し、自分なりの答えを見つけ続ける人生になるだろう。これは側からみれば単なるエゴイズムかもしれないが、これが僕なりの彼への供養であり、償いだと思っている。

彼のことだから、僕のことを恨むどころか、感謝しているだろう。本当に申し訳ない、まだまだ未熟者だと思う。それでも彼はきっと見守ってくれているだろう。そう思うとなんとかこの辛いことの多き艱難辛苦の世の中を生きていける。僕は青空と闇を煌々と照らす月夜が好きだ。ふと僕が空を見上げ、物思いに耽った時、僕は彼が其処に居ると信ずる。僕は君を二度と忘れない、だから、どうか暖かい目で、僕を許して欲しい。

親のツバメはその後も奮闘し、卵を産み、5匹が孵り、そして今親と共に巣立とうとしている。毛高き子達よ。