陰鬱

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最近はなんだか突然涼しくなって、冷夏を思わせる気候です。僕は未だバイトを続けていますが、朝6時はまだ太陽が出たばかりで、この間は夏真っ盛りの癖に、真冬のような肌寒さに身悶えそうになりました。なんだかんだ、君の支えもあって始めたバイトは、もう一年続けることができました。
夏ですね。今はちょいと涼しいですが、また肌が焼ける程の暑さが舞い戻るのでしょうか。酷暑の太陽の下で、暑さに翻弄されていると、僕はあの8月の記憶が頭を掠めます。僕はあの時から夏が、蒸し暑い夏が嫌いになりました。それはただ単に生理的嫌悪だけでなく、僕個人の君に対する罪悪感が、そうさせているのでしよう。
潮の香りがする瀬戸内海と、海を目前に各々がのんびりと過ごしているあの景色が浮かびます。とても、暑くて暑くてやってられない暑さが、海の青々とした明瞭な景色と、僅かに吹く風が、少し心地よい気持ちにさせてくれました。唐突に降り注ぐ晴空のにわか雨も、また君と呼応するような、何とも不思議な雰囲気を醸し出す風土にさせていました。なんとも良い所に住んでいると、少し羨ましく感じたものです。
君はとても可愛く、妖精のように思えた。それは、僕の愛というフィルターによって多少の補正はあるでしょうが、それにしても目が眩むほど可愛かった。僕はただただ君に夢中になって、もう自我というものが消えいっていたでしょう。ついぞ利己的になって、君のことを傷つけてしまった。僕はそれ相応の罰を、その後に沢山受けた思う。哀しみの暑さを駆け抜け、残ったのは虚しさと空虚。でも、君の御姿とあどけない仕草だけが、僕にとっての宝物であり、僅かながら一緒にいた思い出が、今でも目に浮かびます。
元気にしているでしょうか。君は寂しがり屋なだけで、根はとても強いから、多分生きているでしょう。生きていてほしいと思う。彼とは上手くやっているのだろうか。バイトはまだ続けているのだろうか。馴染みの土地に未だ住み続けるのだろうか。聞きたいことは沢山あります。
僕はまもるくんのことを思い出します。人は身近すぎると、その大切さなんてものは影を潜めて、僕の無意識へと追いやられてしまいます。僕は君に対して彼の愚痴を言ったりしたし、陰鬱な彼に対して、半ば諦めの情を呈したこともあった。だから、神は無慈悲に僕に鉄槌を下す。心の支えであれ、友であり、何と言ってもつまらぬ僕なんかに幾度も幾度も関わってくれた彼を、僕の元から永久に連れ去ってしまった。生と死の境界は、余りにも遠く、そして限りなく近い。彼は、一思いに、この不合理と苦痛に満ちたこの世界に別れを告げ、予告なく居なくなってしまった。もう二度と会うことができないのである。彼が死ぬと分かっていたならば、最後に会った時涙を流せただろう。しかし、その運命さえ知らなければ、泣くことも許されないのである。
人生において、大切な人は彼と君である。未だに君のことを忘れることはない。毎日、必ず一日の何処かで君のことを想うことがある。それは、要求的な、エゴイズムな観想ではなく、いつの日か過ぎ去ったあの日々を、振り返るノスタルジアな想起に他ならないのです。あれだけ、君と、そして君を取り巻くあらゆる人間と、その背景を知ってしまえば、忘れようとも忘れられないものです。一年間、短いようで凄く長かったのです。ただ君のことが眼中にあって、僕は僕なりに一途でいて、そして君のサディスティックなところも、時折見せる弱さも、僕にとって君への愛が深まるだけでした。
僕は君に対してもはや何も要求することは無いのですが、いやたった生きているという事実だけがあれば私は満足してしまうのです。初めての恋というものは、大変罪深いもので、それが散って仕舞えば、最早君が僕の中の凡ゆる対象に対しての、価値基準になってしまうのです。そして、今になって、君の言っていたことの正しさを、実感することがよくあるのです。それはお金のことも然り、身だしなみも然り、この世の凡ゆる観念は、二元論で片付けることのできないことも。そして、人から見捨てられる哀しさも。
なんといっても、君は僕の思うほどの人間ではなかった。遥かに思慮深く、感情的に見えて巧妙で、賢い子だと思います。そして、きちんと大事にすべき人は、君なりに大事にする人間なのです。それだのに、僕も、余りにも妄想的で、君のことを沢山傷つけてしまったのです。今更それを謝ったところで、君にとっては既に小ちゃな出来事に過ぎないかもしれません。でも、僕は君を幾度も不安にさせたことを、未だに悔やむことがあります。
しかし、僕なりに傷ついたこともあって、それは決して悪意に満ちたものではないのですが、僕の精神が蝕まれて、愛する故に傷は深く刻まれて、後遺症が残るのでした。腹痛なんてものは取るにたらないのですが、やはり君に対して子どものような無邪気な態度を取れなくなってしまったのが、僕には余りにも辛いことです。僕は概して一先ず信頼できれば、しつこい程積極的に関わるタイプなのですが、僕は後遺症故に、それが憚れてしまうのです。だから、どうしても君をただ遠くから思うような、根性なしになってしまったのです。ただ、それが君に対しての無関心だとか、阻害だとか、そういう風には考えて欲しくなくて、なにか工夫さえすれば、また僕は無邪気になれるのではないかと思うこともあります。しかし、君無き今では、ただの戯言に帰してしまいます。
こんな長文をだらだらと続けて何が言いたいか、理解し難いかもしれませんが、僕が言いたいのは、君のことをどうでもいいとは、未だかつて思ったことなく、今でも君のことを忘れないということです。君が生き抜いたとしても、死んでしまったとしても、一生君のことを忘れないくらい、僕の骨の髄まで君の記憶が刻み込まれて、君無くとも、僕単体が君のことを想い続けるのです。そして、何はともあれ君が幸せになってくれれば、それだけで僕は幸せなのです。これからも、辛いことはありましょう。でも、いつか、心からの平穏が、安心が、幸せが来ることを願っています。それとも、君は不幸を愛するのでしょうか。それも含めて、ただ自由に生きて欲しいと、こんな他力本願な僕を、少しでも心の中で労ってくれれば、僕はもうそれでいいのです。まもるくんが居なくなって、僕の生きる希望というものが、君なのだと思います。