陰鬱

考えたこと,感じたこと,思ったことを書く。https://schizzoid.web.fc2.com

おわり

もうここに何かを書くことは無いです、これを最後にします。LINEで言ってくれればブログを閉じます。

僕が君の境界例を悪化させてしまったのですね、本当にごめんなさい。

全部僕が悪いことにして、そして僕を心から恨んで、今いる人を大切にするのが良いと思う。

言い訳と思われても構わない、でも僕は本当に君のことを愛していた。君の境界例を悪化させた最たる要因は、僕の“不器用”さ、これに尽きるでしょう。

人が不安に苛まれ、悲しんでいる時、僕は君を安心させられなかった。慰められなかった。僕は人を安心させる技術がないのでしょう。余計なことを言って、また苦しめてしまうのでした。

上手く表現することも、すぐに行動することもできなかった。きっと上手な人は、コミュニケーションが上手いのだろう。君を上手く包み込むような、そんな話し方があるのでしょう。行動も出来ない、きっと自分を優先していたからなのでしょう。

気遣いも身なりもダメ。そういう非言語的なコミュニケーションが僕には苦手なのだと思う。君の言っていた通り、皮膚疾患のせいにしてたんだろうね。容姿に関して自信のある人は羨ましい。

表面的なとこは何もかもダメだから、信用されないし、結果恨まれることになる。僕はもう少し器用な人間になりたかったよ。もう少し気遣いができて、話も上手かったら、良かったと思う。心を綺麗に保とうとしても、不器用なら愛されない。不器用な人間に長く付き合わせてしまって、ごめんね。

本当に愛していたよ。死ぬほど愛してたよ。まさか気遣いとかお金の価値観とか、そんなことで人格否定されると思わなかった。紆余曲折あったけど、あの夏の前まで、君は一番僕を信じてくれていただろう。だから、今だって君は僕なんかのことで悲しんでいるんだろう。

きっと心は関係ないんだろう。どれだけ君のことを想って、将来を考えて、君の境遇を考えていようが、気遣いができなければ信用されないのだと、初めてわかった。

これが最後だから聞いて欲しい。多分君は僕を信じていたと思う。信用の次にくるのは、欲だ。

君は幾度かお金を要求する時があった。普通対等な関係ならお金なんて要求しない。不安からだと思うが、家族やお金や友達をどこまで捨てられるかなんて言うこともあった。僕は家族だって友達だって大事だった。少し約束に遅れただけで物凄く怒られることもあった。些細なことで怖いほど怒られることがあった。どうか感情が昂っても、酷い言葉だけは浴びせてはならない。

哀しいよ。君は人と親しくなればなるほど、欲が溢れてくる。お金が、薬が、人間関係が、約束が、伝え方が、、、。苦しかったよ、なんでお金あげるのが愛なのかと思ったよ。身なりも気遣いもダメでも、愛してたよ。

僕は君の関わってきた人たちが悪いと思ってる。馬鹿な大人たちだ。君にホイホイお金をあげて、薬を渡して、未成年にタバコを吸わして。そんな関係が健全なはずがない。挙げ句の果てに無責任に君の元から離れていった馬鹿な大人たちだ。君の中でその価値観が常識となったのだろう。だから、きっと僕と最後まで合わなかったんだろう。

今大切にしている人には、決して欲を出してはいけない。君は自立する不安と、どこまで相手が尽くしてくれるか見極めるために、欲求が出るだろう。どうか自制したほうがいい。お金の関係は脆い。そして、相手と価値観が合わないことがあっても、受け入れてあげてほしい。僕の価値観は君に受け入れられることはなかった。別に僕の価値観が正しい訳ではない。でも、相手の考えや価値観を少しでも受け入れてあげるのが、対等な関係というものだろう。

普段LINEに書いても相手にされないと思うからここに思うことを書いた。多分今どれだけ大切にしていても、君はまた欲を出すだろう。僕は一年君と関わったから、今後の成り行きも大体わかる。こんな自分が愛されていいのか。その文言は僕が関わっていた最初期によく聞いた。まだ信じてくれて、心を見てくれていた時だ。

僕との経験を踏み台にして、誰かを大切にしてあげてくれ。僕は退くのがお似合いだ。

海の初日の出なんてエモいじゃないか。あれが瀬戸内海というものだ。東京湾なんかと比べると透き通っていて、心地良いだろうなぁ。いやぁエモいね。僕はこういう気遣いができない不器用な人間だと改めて感じる。いい人だと思うよ。一途に愛してあげて、君はもう幸せになる時がきた。僕が悪いと思うなら、散々僕のことを恨んで、その分その人を愛してあげて。1年間ごめんね、ダメな男だったよ。全然安心させられなかったよ。気遣いもできなかった。本当ごめんね。束の間の幸せを君はくれたよ。ありがとう。本当にごめんなさい。二度と忘れることはないよ。今ある幸せを大事に大事にしてね。

最後に

見捨てる気はないよ。見捨てられる辛さは死ぬほどわかる。どうしてもどうしても人生八方塞がりで、路頭に迷って、もう死ぬしかなくなったら、千葉県の僕の住所を目指すと良い。その頃にはもう僕は自立しているだろうし、もう少し気遣いできる人間になっているだろう。その時にはどうか惨めな僕を許してやってほしい。もう君が幸せを掴んだというのなら、来なくて良い。きっぱり僕のことは忘れてしまうといい。