陰鬱

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失うということ

死にたがり兄貴から電話が来た。出てみると、いつもとは訳が違うようだった。言葉詰まりながら、なんと泣いているのである。取り敢えずなだめつつ、話を聞いてみると、亡くなった母親を想い出して泣いているのだという。
僕は最初、自分が非情な人間だと思った。なぜなら、電話口の向こう側で泣いている彼に、僕は何の感情も生じなかったからだ。しかし、彼が寝る時に子守唄を歌ってくれたことを話すと、僕も自然と涙が止まらなくなった。もちろん、母親と良い思い出ばかりではないだろう、よく叱られたし、あまり面倒を見てくれた訳でも無かったらしい。でも、人間なのだ、そういった優しい一面を見せる母親に、彼は恋しくなった。自分が淋しい思いをしていたと告白した。母親はもうこの世には居ない。けれども、母親は純真たる慈愛を見してくれた。そして、その精神はきっと彼の心に遺り続ける。彼の中で、母親は生きている。
僕はマザコンだと思う。母親が好きだ。自分の母親が死んだことを考えると、気が狂いそうになる。口煩い父親と一緒に暮らすことになると思うと、絶望しかない。それくらい、僕は母親に依存しているし、母親のことが好きである。だからこそ、彼の喪失体験の辛さは痛いほどわかる。安心できる母親という存在が居ないことが、どれほど辛いことか、想像することはできる。そして、僕は泣いてしまった。それと同時に、ちょっとした彼の言動だとか態度で、腹を立てていた自分の幼稚さを身に染みて感じた。
僕は家族愛に弱いのだろう。ある知り合いと話してる時、その子の叔母が癌になったという話を聞いた。そんな叔母に思春期だからであろうか、冷たく当たってしまうことも多かったという。しかし、叔母の「若いっていいなぁ」という一言を聞いた時、その子は感極まって泣いてしまった。僕もそれを聞いて、泣いてしまった。
生命とは尊いものだ。かけがえのないものだ。何にも変えられないし、失ったら二度と戻ることがない。そして、たとえその人が生きていようと、失って気づくことは多くある。
僕は自分なりに頑張ったつもりになっていた。でも、僕はそれで甘んじるべきではなかった。僕は自分のことを信じられていないと思い込んでいた。でも、きっと君は僕のことを信じていたと思うし、期待していたと思う。それは、1月からずっとそうだと思う。それを、僕のつまらぬ不手際で、何度も君を失望させ、何度も期待を裏切ることをしてしまった。僕はなんと愚かなのだと思った。僕は君から信じてもらえていただけで幸せだった。そして、その幸せに甘んじて行動を疎かにしていた。さらには、僕は君を人間不信にさせてしまった。僕は責任を以て償わなければと思う。たった一人の大事な人を、満足させられずに、僕はきっと彼さえも救うことはできないだろう。