陰鬱

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今日彼が亡くなったことを知った。727日の月曜日、コロナ渦の中、寒冷な気候から、ようやく蒸し暑さが迸ってきた頃。

インターホンを押すと、父親が出てきた。なぜ、父親が出てくるのか、夜分遅いからだろうか。そんな考えが頭に浮かんだその刹那、自死されたことと、その葬式が7/30まさに今日執り行われたことを知った。それを知った途端、頭が真っ白になった。夢でも見ているかの気分だった。つい一週間前まで生きていた彼が、今や骨になっていた。線香を上げてくれと言うので、俺は呆然としたまま玄関を上がり、彼の精神世界であった部屋に入った。光り輝く笑顔の遺影と、骨壺があった。僕はまだ信じられなかった。言われるがままに、線香を上げて、何も考えることもできずにただ祈った。その時点で、まだ涙も出なかった。

そして、彼が中学時代の同級生にもらったという写真が添えられていたのを目にした時、涙が止まらなくなった。それは、彼への涙というよりは、どうしても助けられなかった自分の無力感と罪悪感からの涙だった。俺はとんでもないことをしでかしたと思った。僕が彼を見殺しにしてしまったのではないかと思った。それでも僕の心は冷静だった。泣きながらも冷静だった。父親は、自死は彼が選んだことであり、誰も悪くないと語るのであった。それと、彼は父親に対して具に自分のことを言ってくれなかったと語っていた。なんとなく責任逃れのような発言に、貴方が心の底から悩みを相談できる人じゃなかったからでしょ!!と思ったけど、余りにも不憫過ぎて、責める気にもなれなかった。僕は淡々と彼の最期に至るまでの心境と悩みについて父親に語ったが、父親はもう疲れていた。僕に優しい言葉をかけながらも、今日はもう帰ってほしいようだった。名前と携帯番号を伝えて、僕は家を出た。僕が明大生である以外に、父親は何も知らなかった。だから、葬式にも呼べなかった。まさか、父親の前で涙を流し、ここまで話すことになるとは思わなかった。

白い服を着た弟はそれでも快活で元気そうだった。その胸の内は分かるまい。必死に堪えていたのかもしれない。でも、この子は強いなと思った。母と兄を亡くして、それでも悲しい表情をしていなかった。俺は、弟を不憫に思った。父親から、これからもたまには弟の面倒を見てやってほしいと言われた。僕は、前々から弟の寂しさを不安に思っていたから、僕は多分これからも定期的に面倒を見てあげたい。弟は、我慢し過ぎているのではないか。とにかく、彼とともに、弟もかわいそうだった。そして、どうしてこんなにも可愛い弟を1人にさせたんだと、僕はやるせなくなった。

僕はまさか彼が死んでいたとは思わなかった。今日の夕方まで知り合いと中野に遊びに行って、色々散歩したりガストで飯食いながら、大学が40,000円を支給するということで、ハイタッチしてはしゃぎ回っていた。馬鹿野郎だった。最期にどんな思いをして、どんな絶望的な境地で、余りにも恐ろし過ぎる、心臓が停止して、脳も活動を停止して、無になるという、そんな死を、選んだことか。彼は明らかに死ぬことに抵抗していた。怖いと言っていた。そして、胡散臭いカウンセラーがダメなら死ぬかもしれないと言っていたけど、その後も寮に入るなんてことも言っていた。彼は最後まで希望を持っていた。死ぬ最期の瞬間まで、きっと希望は捨ててなかっただろう。僕は、その希望に花を咲かせることができなかった。彼が自死した当日、僕はレポートをやって、ぐーすか寝ていた。その間に、彼は亡くなった。

失って分かる命の尊さ。母親との別れを悲しんでいた。一緒に泣いていた数週間前を思い出す。彼は、今ようやく母親のもとに辿り着けただろうか。もう苦しまなくていい。自死を悪と決め付け、自死の後は救われることがないだとか、そんなことを言う奴に対して虫唾が走る。死んだ後もなぜ苦しまなあかんのか。そんなことがあってたまるか。

結局、僕はきっとまだやることはあったはずだ。もっと彼の言動を深刻に捉えて、早急に行動すればよかった。それが決して実らなくてもいい。少しでも一日でも長く生きて欲しかった。僕がいくら頑張ったって、天寿を全うするまで彼が生きれたかわからない。でも、僕は精一杯、限界まで彼を手助けすることはできなかった。悔いばかり残った。僕は、最低な人間だ。もう罪悪感しかない。こうやって、彼はたったの19年しか生きれず、彼の人生哲学のなにも伝えることもできず、死んでしまった。もう戻ることはない。時間は戻せない。取り返しがつかない。僕みたいな無神経な人間がのうのうと生きていて、彼みたいな純粋たる心の人間が、下らぬゴミ共にいじめられて、一生の心の傷を負って、死んでいく。こんなことが許されてたまるか。僕は将来いじめ加害者だって許して、カウンセリングしてやるだろう。でも、彼を追い詰めたクソ野郎だけは、ぶち殺してやりたい。そして、彼の最期まで真摯に向き合えなかった自分を、呪い殺してやりたい。

葬式にも立ち会えず、死顔を見ることも出来ず。でも、僕は正直これでよかったと思う。僕は多分一番彼を救える立場だった。死ぬ数日前まで一緒にいたからだ。きっと葬式で居てもたってもいられなくなっただろうし、彼の生前の顔を知っているだけでよかった。きっとトラウマになっていただろう。

葬式には彼の演劇関連の人が沢山参列したという。40人もだ。彼にはつながりがちゃんとあった。でも、心から信じてくれていたのは、どうやら俺くらいだったみたいだ。決して、繋がりが深くて、ある程度友達がいようとも(実際に会う仲だったかは分からないが)心が孤独でいてはやっぱりダメなんだと思った。

今になって、後悔が迫りくる。夏祭りに行きたがっていたことも、彼の家に泊まることも、寮を探してあげられなかったことも、ただ抱きしめてあげることすらできなかったことも、下らない喧嘩をしたことも、死ぬ前日の電話で眠たくて殆ど話せなかったことも、母親の自死の遺伝子を継いでることも、家族に自死のリスクを告げとけばよかったことも、なにもしてあげられなかったことも。

理不尽の極みだ。いじめた奴らはのうのうと生きていき、いじめられた人は、人生を棒に振り、命を絶つ。殺人罪と何が違うのか。一体彼の人生なんだったのか。たった一年関わっただけだったが、俺は彼になにかしてあげられたのか。悔いだらけの人生だったのではないか。時すでに遅し。彼のみぞ知る。もう死にたいなんて言う人がいたら、絶対離れたらいけないと思った。目を離したらいけないと思った。本当にごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。ごめんなさい。