陰鬱

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純粋な園

中学の時、職場体験に行ったんだよね。昔お世話になった幼稚園。中二の頃はなんとなく学校をサボったりしてたものだから、勝手に行先が幼稚園になってましてね。

ジャージ姿で教室に入って、1人ポツンと。そりゃあ、あたふたするわけですよ。どう関わればええねんと。そしたら、続々と園児たちが集まってくる。ワーワーガヤガヤ。

いつもの教室に冴えない中学生がいるものだから、園児たちは“純粋な”好奇心で僕の体を引っ張り、あれやろうこれやろうと彼らの世界に誘ってくれるのです。関わり方とか、そんなことを模索する暇もなかった。本を読んであげたり、ブロック遊びをしたり、外で鬼ごっこ(ガチで追いかけてやったが)したり。お歌の時間も耳がぶっ壊れるほど、うるさい。でも、あれほどのパワフルなエネルギーを前にすると、もはや畏敬の念がある。

園児の中には鼻くそが固まったままの女の子もいた。まだ恥じらいも何もない。その“純粋さ”に僕は感動した。しかし、これだけではない。我々が本当に学ぶべきことを、僕は学んだのである。

とある男の子がおもちゃの取り合いになり、相手を押し倒してしまった。相手は泣き出す。僕は無能だから、どうすることもできず傍観していた。すると、加害側はすぐごめんねと謝って、被害側も寛容な精神ですぐ、いいよ。と言って、気づけばいざこざは終わっていた。なんだこのフットワークの軽さは。要するに、彼らの人格は未発達な上に、自尊心も見栄もプライドもない。純粋な故に謙虚すぎるのである。しかし、これは我々も学ばなければならないのではないか。簡単に謝ることもできない私たち、いちいち記者会見を開いて、やっと謝ることができる私たち。悪いことをした人に、寛容な精神で許すことのできない私たち。彼らの純粋さに、我々は戻るべきではないか。

外で遊んでた時、一緒に職場体験してたクソやろーが、俺にパンチする素振りをしてきた。それを見て、園児が「なぜこんなことをするのか」と憤慨する。ただのちょっかいに過ぎないのだが、園児は純粋かつ豊かな想像力を働かせて、僕を守ってくれた。なんていい子なのか。小学校に入れば、気持ちの悪い同調圧力、集団力学により、いじめが多発する。けれども、彼らは波に流されない。純粋であるが故に、確固たる柔軟な精神を持っている。

我々は園児に学ぶべきことがいっぱいある。もちろん、知的にも教養的にも劣っているだろう。でも、彼らの純粋さは、僕たちが生きていく上での、そして楽に生きていける上での、模範となる。我々はくだらない知識と自尊心を以て、人を傷つけてはいないだろうか。僕は優しくなるなら、まずは園児に師事したいと思う。