陰鬱

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学校はコロナのせいで更に延期して、この異例の出来事が私に幸福をもたらすのか、不幸をもたらすのか、天秤に測っても解は求められない。

学校に行っても、大抵は孤独だ。周りでワイワイ騒いでいる専攻連中の中で、肩身を狭くしながら、100分の授業をひたすら耐えぬく日々が訪れる。大教室では、自らの孤独という醜態を、周りの群衆が遮ってくれる。その中で、僕は存在を消しながら、授業に没頭することで、自分の寂しさを相殺する。大教室の無機質な茶色の椅子に、僕は明らかに腰をかけて存在しているが、僕だけの精神世界では、“そこ”にはいない。

毎日朝6時半から、すし詰めにされてバスと電車を乗り継ぎ、学校へ向かう。人々は抑えきれない眠気に苛まれながら、周りの人間を視界から消して、自分一人の世界に身を置くことで、この殺風景かつ非人道的な日常生活を淡々とこなして行く。まるで、彼らは決められた運命を、忠実にこなすだけのアンドロイドである。僕は、それと同化しながら、人間としての心を捨てることができず、葛藤してしまう。この恐怖はきっと春休みだから生じているに違いない。持て余した余裕が、人間らしい心を取り戻させる。毎日慣れてしまえば、それが普通になって、何ら苦にも思わなくなる。

そう、学校に通う僕はドナドナされていく子牛の如き存在だ。♩ドナドナドナドナ子牛を乗せて、ドナドナドナドナ荷馬車が揺れる〜

♩もしも翼があったならば、楽しい牧場に帰れるものを

しかし、この子牛は絶対絶命の運命を、悟る知性も残されていない。それに、彼には“楽しい”牧場という還るべき、帰属すべき場所がある。僕には、もはや無機質で真っ白な自室しかない。最近、僕は部屋にこもって、もはやなにもしたくない。そして、あの無機質な“壁”を見るたびに、もううんざりしてくるのだ。

学校はもちろん、辛いところだ。けれども、あの忌まわしき雑音、話し声、雑踏、見知らぬ顔々、それらは一見すれば不快に過ぎないが、知らぬうちに僕の寂しさを隠してくれるマスクのようなものだった。なんの繋がりもない彼らの排泄物(と呼んでしまえ)が、僕の寂しさをひた隠しするのに、大きな役割を果たしていた。けれど、僕の自室には、そんなものはなにもない。無機質な壁に、静まり返った空間、如何なる微小な音も、反響して忌まわしく私の耳に突き刺さる。沈黙よ、死んでしまえ。白色よ、死んでしまえ。

部屋をぐるっと見回したとき、大半は壁、壁、壁、壁。この壁に一度も穴を開けたことがないが、ぼくはついぞ穴を開けたくなってくる。心のタナトスが放出して、本能的に全てを壊したくなる。お前らの沈黙と、無表情な壁が、俺をどれだけ苦しめていると思っている。喋れや。喋れ。孤独な私を、救ってくれよ。

今、僕は孤独の中にいる。僕を救ってくれるのは、僕だ。僕しかいない。孤独を感じる僕が味方だ。メタ僕だ。孤独を癒すのは、他者ではない。僕しかいない。やりたいことはいっぱいある。ホームページを完成させたいし、絵も描きたいし、小説も書きたいし、やりたいことはいっぱいある。でも、孤独な僕が、もう休めと言う。エネルギーは有り余っているのに、自室は僕を縛り上げて、孤独が僕に鎮静剤を与える。僕は、外に出ていく自由があるけれど、精神的葛藤が僕を精神的に雁字搦めにしてしまう。

死刑囚のことを想像すると、僕は頭がおかしくなる。彼らには、外に出ることは完全に許されない。一日中狭い独居房で大人しくしていなければならない。僕なら、きっとおかしくなるだろう。そんな人に比べたら、僕には物理的にも精神的にも制約がない。けれども、対人的に孤独であることが、これほどまでにぼくを縛り上げるとは思いもしなかった。安部公房の「壁」のように、自分を認めてくれる他人さえもいない私は、自室の壁と沈黙の対話を繰り返すうちに、壁自身にヒューッ!と同化していき、精神世界に於いて、私はベッドの上から消えてしまうのではないか。壁は無機質、生き物ではない。故に、僕の観念が彼を僕に塗り替えて、同化一体化できる猶予がある。だから、僕は壁と一体化して、感情欲求理性その他諸々の私、全てを遮断して、僕を苦しめた壁のように、僕は沈黙してしまうだろう。そして、僕はもう壁になって、本当に本当になにもしなくなってしまうだろう。

そんな究極的に哀れな形態に、自分がなってしまったとき、きっと自分に悲哀は感じないだろうけれど、もし、自分がその壁から一時的にも遊離して、僕の壁を見たならば、あまりにも哀れすぎて、バールかなんかでぶち壊してしまうだろう。だから、そうなる前に自殺した方が賢明だろう。コロナのせいでイギリス人が孤独すぎて自殺したらしい。彼は、壁になることを拒んだに違いない。けれども、僕は死ぬことができない。そんな根性もない。ああ、畜生。畜生。

春休み、いいことがあっただろうか。互いの心は自ずと遊離してゆき、僕はひとり宇宙にポワッと捨てられてしまった、ような盛大な夢を未だに見ているような気がする。未だに夢心地である夢遊病者のような気分でならない。あの頃はなんだったのか。幻想か。神隠しを見た気分だ。死刑囚には死が、孤独者には壁という逃げ道があり、僕には壁になる気もしない。だから、僕はこの先まだ長い死を以て、塵になろう。もう、全てがどうでもいいのだ。

玄関に、ツバメが来ている。去年のツバメが帰ってきたのだろうか。一匹だけ。けれども、いずれつがいになるのだろう。来るべきツバメと一緒になるのだろう。僕は、いつまで自室に留まっているのだろう。