陰鬱

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悲しみの果て

最近は真昼間から憂鬱で、大してご飯も食べられない。未だに彼女を思い出す。色々と僕を揶揄うところもあったけど、それも含めて全てが愛らしかった。

毎日通話するのはほんとに楽しかった。彼女は自分の声が幼稚だと言っていたが、そんなこと全くない。人を蕩けさせるような可愛らしい声だった。僕はそれに魅了されて、未だに彼女の声が忘れられない。最後に一度でも聞きたかった。

おっちょこちょいなところもあった。そういう欠点の一つ一つも愛らしくて、守ってあげたくなる。社会に適応できないと悩んでいたけれど、彼女の類稀なるセンスと豊かな感受性が、それらの悩み全てを塗り替えてしまうほど、魅力に溢れていた。

僕を心から受け入れてくれたり、突き放したりする相反した態度も、今思えば愛らしかった。彼女のおかげで、物事との考えや態度には一つと決められない二元的要素があることも学んだ。好きな時も嫌いな時もある。一緒にいたい時もいたくない時もある。ぼくはハッと気づかされたのである。

それと、寂しさ故に冷静さを忘れ、視野狭窄に陥り自己本位になることも学んだ。恋は盲目だと思った。そして、善意や好意の押し売りも彼女にとっては大きな負担であると知った。今頃それらをフィードバックしたところで、彼女は僕を振り返ってはくれないのだ。

未だに彼女が忘れられない。昼寝をすれば、また彼女が姿をあらわす。会ったこともない彼女がだ。LINEさえもくれなくなった彼女の姿を見ると、ぼくは嬉しさと幸せで胸がいっぱいになる。夢じゃない夢じゃないと心から祈り続ける。でも、夢はいつか覚める。起きた時には余りにも惨すぎる現実が待っている。

概して、男という存在は常に大切な人への想いを引きずるものだ。夫を亡くした妻は、比較的短期間で負の感情を切り上げて、心機一転頑張ろうと思う。けれども、妻を亡くした夫というのは、いつまで経っても悲しみから逃れられない。常に死んだ妻を思い、もうなにもやる気が起きない。いつまでも、そのことを引きずる。

ぼくも彼女が忘れられない。執着しまいと気をつけても、僕の中の彼女の存在は否応なしに僕を引き止める。一生忘れられず、余生を過ごすのでしょうか。せめて、最後に一回だけでも彼女の声が聞きたい。彼女は人一倍優しかったし、人一倍努力していた。数多の苦悩を経験して、身も心もズタズタになっても、生き続けている。僕という存在が、彼女の精神衛生上良くないのなら、もう身を引くしかないだろう。ほんとにいい子だった。精一杯頑張ってる。思い出と愛情とは罪深き産物なのですね。僕も彼女のことはきっぱり忘れて生きていくべきなのか。それができない。ぼくはどうすればいいのかな。教えてください。