陰鬱

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さいご

彼はあまり父親とは仲良くなかった。父親は神戸大出身の高学歴。将棋の腕は相当良く、段位も持っていた。弟はそれを継いでいるのか、将棋で賞もとっている。逆転オセロニアをやっていて、僕も一緒にやってあげた。父親は僕の父親とすんごく似ていて、頑固で無神経だったらしい。父親の悪口トークで花を咲かせたことがある。しかし、彼が亡くなった後父親と話した時、非常に声は落ち着いていて、なんだか弱そうに感じた。人の親なんて、子ども以外の部外者から見たら、大した人間には見えないのだろう。
父親とは馬が合わなかったから、本当に必要なこと以外はあまり相談もしなかったらしい。だから、彼がここまで葛藤していることもきっと知らなかったに違いない。
弟はヒョロヒョロしていて眼鏡をかけている。なかなか元気で友達とゲームをしたり、外で遊んでいる。学校生活もそれなりにこなしているようだった。彼が小中学生の頃はゲームを買ってくれなかったらしい。ゲームに熱中して、他が疎かになったらダメだからだ。典型的な毒親家庭の特徴である。だから、クラスメートのゲームの話題にもついていけなかったのではないか。
小学五年生の弟は、ゲームを買ってもらえた。ニンテンドースイッチも買ってもらって、僕は弟とマリオカートをした。強くて勝てない。兄である彼は弟とゲームをすることはなかった。弟に対して優しくはあったが、避けているようでもあった。僕と彼と部屋で話したりしてる時も、暇な弟は部屋に入ってきた。僕は弟を好意的に思っていたからよく話しかけたんだけど、彼は部屋に入ってくるなと鍵を閉めて弟を締め出してしまう。理由はあった。
彼の母が亡くなった時、まだ幼い弟は、もう要らないよね、と母親が録っていた録画した番組を全て消してしまったという。どういう意図でしたのか知らないが、弟なりの考えがあったのだろう。しかし、彼はそれが心底理解できなかったようで、それがあってか弟と微妙な距離感を作っていたのだ。弟は、兄が一緒にゲームをしてくれないと嘆いていた。君が死んだら弟をどうすんだと僕はよく言ったが、弟は強いからそれなりに一人でやっていけるよ、と言う。

彼はガストが好きだった。やはり、サイゼリヤよりも安いのだという。朝からランチを頼んだ、ライス大盛りにして、英語を教えていた頃を思い出す。彼の英語は絶望的で、単語もろくに発音できない。そんなことはどうでもいい。一番好きなのがドリンクバーだった。彼は貯水タンクのようにコーヒーだのジュースだの飲みまくっていた。ドリンクバーを楽しんでいる時は幸せそうだった。
小太りの人と一緒に本屋に行った時も、彼は街頭で知らない人と仲良く話している。たまに劇団関連の人とすれ違って話してることもあったから、劇の人かなと思ったら、宗教の勧誘だったという。どこか、良からぬ人を引き寄せるオーラがあるらしい。
かつて団体を一緒にやろうという通信高の男の子がいた。その子は髪が長く、穏やかな口調の子で、可愛い子ではあった。彼はその子の風貌を絶賛していた。どうやら彼はボーイッシュな子が好きらしく、男の子でも好きになれるようなことを言っていた。ボーイッシュな子に慰められたいと言うのだった。
彼が成田で発表した劇もよかった。彼はギャルゲーの中に閉じ込められたアンドロイド役で、アンドロイドと荒廃したディストピア的現実世界の主人公と、新しい世界を作っていく的な?話だった。成田まで見に行ったが、お世辞にもめちゃくちゃ上手いとは言えない。でも、演者の中で一番声が大きくて、本気度は誰よりも伝わってきた。終わった後僕に感想を聞き、その場でフィードバックをメモに大量に書くのだ。やっぱり真面目すぎる。
いのちの電話に僕と同じように反対していて、もっと緊急で駆け付けられるような、実際的なシステムを作りたいという思いが双方あった。きちんとして居場所も作りたいという夢も語った。いつでもどこかに電話できるネット掲示板を作りたいと、そしてボランティアではなくてちゃんとした知識ある電話手だけが登録できるようにする。そんなものも作りたいと言っていた。やっぱり世の中金がないと救えないこともあるので、金もたくさん稼ごうと言っていた。お互い夢を語り合ったが、俺は一人残されてしまった。
彼なりの人生哲学があって、それをYouTubeTwitterなどで広めたいという思いもあった。それただの自己顕示欲が高い思い上がりじゃねーか?と少し言い合いになったこともある。謙虚に生きるべきという僕のポリシーも対立したこともある。少し自己愛が強くて、お互い意見が合わないこともあった。僕もそうだが、なにかと人の意見を否定してしまうこともよく見られた。ただ、なにかこの世に残したい,爪痕を残したい,明確な将来の夢は無くて悩んでいたみたいだが、とにかく悩める万人を救いたいというのが彼の目標であった。結局死んでしまっては叶えられない。しかし、僕はもう少し自分の人格破綻したところを修正して、もう少し人を安心させられるような態度を取れるようにして、彼の意志を継ぎたいと思っている。

亡くなってから気づくが、なんだかんだ彼と一年いて楽しかった。一番の親友であった。なぜなら、僕は自分の悩みを事細かく話した最初の人間だからだ。といっても、僕は彼を愛することはできなかった。中途半端な愛しか持たなかった。それは、酷いことしてしまったと思う。彼がいなくなって、俺は寂しい。ネットでも僕と関わってくれる人は僅かである。みんな僕を変人だと思って関わってはくれない。一部の人間だけが大切にしてくれている。彼はその一人だった。しかも、定期的に会うのは彼だけだった。唯一無二だろう。
弟はこれから疾風怒濤の思春期に入る。自立と親の庇護の狭間に立たされて、色々な欲求や葛藤に悩む時期が来る。彼は弟と母を亡くし、それほど献身的でもない父親と後十年は暮らすだろう。部屋は散らかっていて、猫のうんこも放置されている。犬は犬小屋でぐったりしている。やはり、家庭は崩壊していたかもしれない。それでも彼は生きなければいけない。確かにヒョロい体にしては、強い精神力を持っているような気がする。しかし、いざとなれば誰かを頼るべきだ。
彼が残してくれたのは、僕が心理職を志す意志と、弟だ。父親は弟の面倒も見てやってくれと言うが、未だに連絡は来ない。彼の葬式には出られなかった。そして彼の墓前に立つことすら未だできない。いつの日か、僕は形容ない彼ともう一度対面したい。そして、立派になった弟の姿が見たいと思う。どうか、もはや幸せになれないであろう兄や父母、僕の分、幸せになってほしい。一人幸せになれれば、それでもういいのだ。
これで彼のことを書くのは最後にする。もう特記することもないだろう。彼は僕の中で生き続ける。忘れはしない。