陰鬱

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名もなき芸術家

ネット上で転がってる性格テストを受けてみると、「あなたは芸術家タイプです」なんて診断を受けることがある。

それを素直に受け止めて、やったーと喜べる人は幸せである。しかし、よく考えてみれば暗に「あなたは社会不適合者です」とレッテルを貼られているのであり、紛うことなき社会における死の宣告である。

芸術家は大抵社会不適合者だ。ミケランジェロだってゴッホだってベートーヴェンだってエコール・ド・パリの若き画家たちだってそうだ。昭和を代表する文豪だって沢山自殺している。

社会の流れにうまく適応できない溢れ出る葛藤を、絵でも音楽でも文章にでも動きにでも還元して、発散しなければ生きていけないのが彼らの性であり、宿命である。

自分の思うままに作品を作り、評価されることで社会における一定の地位「芸術家」になれる。たとえ、彼らは芸術家になれたところで悩みは尽きないだろう。しかし、お金は入ってくるし、最低限生活はできる。社会の中でも堂々と胸張って生きていける。もしのちに自殺しようとしたとして、自分の生き様を我々に遺すことができるし、我々も無残にも散って行った彼らを賞賛できる。

しかし、芸術家になれるのは一部の人間だ。大抵の人間は才能がない。そもそも絵が上達しなかったり、文章がめちゃくちゃだったりするのだ。いくら努力したって殆ど無駄である、芸術は勉強とはまた違うのだ。才能や素質があればまた違うと思うが。

芸術家への道を絶たれた人間は、心をえぐられる思いをしてでも社会に適応していくか、あるいは野垂れ死ぬか、どちらかの道しかない。前者を選んだ人間は、最低限の生活は保証されるが、一生フラストレーションに満ちた哀れな人生を送るしかない。そして、私も確実に前者の道へゆく。

自分の才能を過信して、芸術家一筋で生きていくのは余りにも危険だろう。大抵彼らは当然学校にも適応できないので、学歴がない。そして、実用的な資格や技術も備えていない。気づけば、人生の不可逆点に達し、もはや手遅れであることを知るのである。

この無残で悲惨な「名もなき芸術家」に私は多大な敬意を表する。どれほど嫌でも学校に行き就職するという既存のレールを通れば人間は生きて行ける。そのレールから外れた暴走列車の如き彼らには頭が下がる。そして、憧れるし尊崇の対象である。

もちろん、自分は創作活動なんて全く興味のないと感じているのならば、嫌でも既存のレールに乗っとくのが無難である。私は小説を書いたりするけど、社会に適応することも捨てられない人間だ。ぼくは決して芸術家にはなれないだろう。しかし、名もなき芸術家はそう簡単にいかない。社会に適応する苦しさと湧き上がる創作意欲があっては、社会で生きていく余力はもう残されていない。

だから、自分は社会不適合者だけど、なんらかの才能があると思っている人間は、人生の不可逆点になる前に、大きな決断を迫られる。

最低限の生活を望むか、芸術を捨てるか。

この余りにも無慈悲な選択肢のどれを選ぶか、あるいはその選択肢から逃げるか、各人の判断に任される。そして、私の書いていることが馬鹿げていると思うのなら、「芸術家」となった暁に、私の稚拙な文章を鼻で笑ってほしい。                       2020/3/1