陰鬱

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原始に戻ろう

自分は失敗ばかりで叱られてばかり、自分はいつだって無能だ。

いつも煩わしい人間関係に悩まされる。私はぼっちだ。私は周りに合わせるのがつらい。

学校に行きたくない、会社に行きたくない。


現代社会はストレス社会だ、少しでもメンタルの弱い者は能力という名のふるいにかけられ、気づけば国の奴隷となるか、アウトサイダーとなる。


アウトサイダーになれば、もはや我々は社会から必要とされない。生活保護を受けてのらりくらりと死を待つのみである。贅沢と幸福は一生享受できない。

だからこそ、人は国と契約して奴隷となるのだ。学校や会社に行って、うんざりしながら沢山の仕事をこなさなければならない。体力が削られる。

そこに人間関係が降りかかる。面倒な付き合いに、仕事の鬱憤からタナトスを放出する悪しき人間からの嫌味や悪口にも耐えなければならない。ひと時の休息も無い、常に働き、常に人の目を気にして生きる毎日。

現代社会に生きる上で、私たちの身を守る方法は、アウトサイダーに堕ちるか、感覚を麻痺させて日々の辛さを慣れで誤魔化すか。

そして、もう一つの方法は逃げ道を作ること。

辛かったらいつ辞めてもいい。そう思えるだけでまぁ少しは頑張ってみようと思う。ストレス社会からも人は逃れられる。我々は権利ある奴隷なのだ。

今言った逃げ道は、現実的な逃げ道である。実際に選択可能な行為だ。

そこで、私がもう一つ提案するのが架空の逃げ道、原始社会に想いを馳せることである。

我々は罪な生き物である。人間は賢い生き物であるから、様々な利器を作り出し、文明を作り上げた。そして、厳密な法則とルールに則った社会が発生した。しかし、我々は高度な文明と社会が我々の精神世界に弊害をもたらすことを予見できなかった、いや薄々気づいていたとしても、制御はできなかった。

文明と社会ができる前、原始時代では、狩猟と採集のみで生計を立て、ウホウホしてれば事足りた。稲作が普及し、登場した指導者のような存在もいない。資本主義が台頭する更に前の時代だ。

その時代には、最低限の人数で生活すればやっていけた。人間関係で思い煩うことは少なかった。さらに、文明と社会がない以上、彼らの生きる意味は、種の繁栄と生存のみだった。

しかし、今の時代はどうだろう。高度な文明と時代は世を豊かにし、寿命も延びた。娯楽も増えた。でも、人間の悩みも増えた。

我々はあの単純なミニマリズム的原始時代を自ら変えてしまった。私たちは今や生きる意味が余りにも散らばっていて、見出せない。アイデンティティを求めて途方のない旅を続け、あるいは死んだりする。この世界が豊かになったからこそ、我々は当てのない人生を送らなければならない。その苦悩を誤魔化す友さえも我々は作れない。我々は孤独だ。

スクールカースト、いじめ、引きこもり、学歴、就業、資本主義、介護、性差別、経済格差...我々が発展と共に作り出した負の遺産に苦しめられなければいけない。

そんなクソッタレな世の中はもはや不可逆点に達し、二度とウホウホな時代には戻れない。だからこそ、原始時代に想いを馳せて、我々の哀れな心を妄想の空に遊ばせなければいけないだろう。

そうでもしないと生きていけない人間サイボーグの我々を、文明も社会も持たない悠久の動物たちは、きっと鼻で笑うかもしれない。そう思うと、我々がペットを飼うのは、決してかわいいから、だけではない。文明や社会に縛られず、のびのびと生きるその様を見て、心を逃避させるためなのではないか。

そんな生き物さえも、我々は食いつぶそうとしているのだ。                 2020/2/8