陰鬱

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しばらく連絡が来なかったが、5月くらい急激に連絡が来るようになった。ちょうどバイトを始めた頃だ。そして、否定や後回しばかりして、君と距離を置かれていた頃とも重なる。

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この頃から、彼は部屋に篭るようになった。ボーッと前を見据えることが多く、眠りも浅いようで、とにかく動けないと言っていた。団体をやっていた頃とは全く違った。精神的にはやりたいことがあっても、身体がついていかないのだ。元々活動的である彼にとって、動きたくても動けない状態はキツかったと思う。
国立図書館に行って相対性理論やタイムマシンについて調べることも、海外なら旅行したいことも、彼の家でお泊まりすることも、叶えられなかった。最後にいろんなことしたかったのだろう、俺はなにもしてあげられなかった。まさか死んでしまうとは思わないからだ。
部屋は散らかっていて、踏み場がないほどだった。独特な匂いを放ち、謎の虫も沸いていた。俺は掃除が好きだから、部屋のゴミを片付けて、掃除機で吸う。綺麗になるとそれはそれは快感。しかし、数週間後にはゴミまみれになる。ゴミ箱を取り敢えず設置してくれと頼む。
障子も張り替えたいと言って、ホームセンターに一緒に買いに行ったことがある。彼とその道すがら、敢えて彼は林道を通って遠回りする。(彼の住む佐倉市は歴史ある地だが、彼がいう通り、ド田舎である)俺と長い間話したかったからである。そこで、彼は聞いてもなのに、自分の受けてきたいじめの内容をたくさん聞かせてくれた。
匂うわけでもないのに、臭いだとか言われた。
足で小突かれた。
卓球部で後輩たちに冷ややかな目で見られた。
死ねだとか消えろだとか言われた。
僕も大体同じようなことを経験しているから、その辛さは痛いほどわかる。僕もいじめで神経症を悪化させた。小学校で悪口は日常茶飯事だったし、殴り蹴られたことも沢山ある。僕は自分を守るために、厚かましくなった。ある程度やさぐれた反抗的な態度も取れるようになった。だから、中学校でいじめられることは少なくなった。
彼の場合、特に中学校で嫌な目にあったようである。クラスでも部活でもいじめを受けたらしい。彼は純粋な心を持っているから、僕のように歪むことはなかった。常に彼の繊細な心に、言葉と力の矢が降り注いだに違いない。中2以降から休みがちになり、行ったり行かなかったりの繰り返しだったみたい。
そんないじめの内容を僕は聞かされた。僕はもう終わったことだから、恐れなくていいんだよって言ったけど、まあ簡単にトラウマなんて拭えないことは知っている。僕はいじめられた経験を思い出しても何とも思わないが、彼は(思い出したくないのに)思い出すたびに心が締め付けられ、前に進めなくなるという。これはPTSDかどうかは別として、トラウマと言えるだろう。結局、僕は下手くそだから、障子が貼れなかった。
最初の頃はまだ外出ができたが、最後の方は外出するのにも相当な精神力を出さなければ、外に出れない状態になってしまった。あまりご飯も食べない。真っ暗な部屋で寝るか、いつの日か買ったノートパソコンで海外ドラマやアニメを見る時間が増えた。彼の性格だろうが、やけに難しい哲学書自己啓発本を読んではみるが、もはや文字を読むのも一苦労で、内容が頭に入ってこないという。レポートなんかやる気力はない。段々とできることも少なくなり、それはもう辛かったと思う。
死にたいだとか、しんどいと口にすることも多かった。病院に行っても、うつかどうかはまだわからない、もう少し様子を見ないとわからないと言われ、薬だけ出されたが、あまり効かない。入院も進められたが、閉鎖病棟のイメージがあってか、あまり行きたがらなかった。しかし、どんなに閉鎖的であっても自殺防止とうつの生物学的治療の観点から、入院させた方がよかったと今になって思う。彼は紛うことなきうつであった。心理的問題を解決(彼の場合はトラウマや自尊心の低下に対する援助,ソーシャルスキルの向上など)しなければ根本的な解決にはならないだろうが、とにかくうつ病は脳の病気であるから、しっかり薬物療法と休養を取るべきであった。
彼はトラウマをとにかく取り除きたい、その一心でいろいろな努力をした。もちろん生きたいからだ。トラウマと継続的に向き合うことは、PTSDの治療方針にも共通していることだ。しかし、トラウマよりもうつの治療を最優先すべきだっただろう。
過去のトラウマを僕に話したりするのも、その一環だっただろう。僕がそのトラウマの過去は変えられないが、認知は変えられるという認知行動療法的な側面から、色々な見方を言ってみた。彼が悪いからいじめられたわけでもないし、明らかに理不尽であること。もう学校にも行かなくてもいいし、苦しむ必要もないこと。しかし、そんなことを言っても効果はない。
次に彼はトラウマをなにかに表現して、それを浄化(カタルシス)することを目指した。今までされてきた嫌なことを、大声で叫ぶ。「臭いと言われて、すごく嫌だった」「しねと言われて、苦しかった」もはやシャウトの域だった。その叫びは今でも思い出せる。心の底から発せられる声で、僕も圧倒されてしまった。叫んだ後、彼は背中に覆いかぶさってくれ、と言うので、恥ずかしかったが俺はそうした。本当は抱きしめて欲しかったらしい。俺はできなかった。俺は惨めだった。真に迫る彼の叫び、その後「だいぶ楽になった」と微笑みながら言うのだが、本当かどうかは分からない。そう思いたかったのだと思う。
その次は、僕にいじめ加害者側を演じてくれと言う。そして、彼は自分自身のその時の行動とか反応を演じるという。彼が最後に託した心理劇に繋がるものだった。僕は彼に「臭い」だとか「しね」と言わなければならなかった。僕は何度も戸惑ったが、言ってくれというので言った。効果があったのかわからない。こうしたやり取りをリビングにいる弟はなにも思って聞いていたのか、わからない。この頃ズームを用いて、ネットで拾った演劇のセリフを言い合うこともしてたらしい。僕もした。やっぱり劇に対して思い入れがあったのだろう。
そのうちに、自分の葛藤や考えついたファンタジーを即興劇で演じるようにもなった。一緒に心理劇の本を読んだこともある。心理劇の団体をまた作ろう、そう言って少しでも生きる活力もまた出して欲しいと思った。しかし、トラウマは消えない。
段々と弱っていく。もはや寂しさは消えてしまったという。ただ、辛くて仕方がない、という。毎日電話があった。出れる時も出れない時もあった。もっと出ておけばよかったと思う。俺は事態を過小評価していた。
どこか居場所が欲しい、このままじゃ腐ってしまう。彼が自ら団体を作ったのも、自分の居場所が欲しいからだった。他の居場所に行っても、結局自ら関係を作らなければいけない。なかなかハードルが高かった。フリースクールに行ってみたが、やはり孤立してしまうという。こうして、僕と彼は往復2時間かかるフリースクールに行ってみた。自由な雰囲気で色々な年齢の子がいる。お金も払わなくていい、好きな時に来ていいと言う。職員の人もいい人だった。しかし、やはり孤立感はあった。卓球台があったので、見学の時に一緒に卓球をしたが、中学ときのトラウマがあってか、途中で辞めてしまった。ちょっとした喧嘩もあった。
結局そこのフリースクールもいいところだと言っていたけど、やはり合わなかったのだと思う。どこにも居場所がない、所属感がない。相当辛かったと思う。LINEのともだちの数は沢山いたが、一緒に遊んだりする友達は殆どいなかったのではないか。よく僕の狭い交友関係さえ羨ましがっていた。なにか思い出作りしてあげればなと思う。
しかし、彼は諦めなかった。最後に託したのが、トラウマ回復セッション。胡散臭い米国の心理資格だけを持ったおっさんに、彼は全てを託した。決意は揺るぎないものだったみたいだ。自分の数十万円の貯金全てを僕に託すとも言っていた。でも、俺は縁起でもないので断った。
動けるかわからないと言っていたが、当日の朝、彼は元気そうに起きて既に待っていた。家の中でそのカウンセリングについて期待しているようなので、まるで遊園地に行くみたいやなとか言って笑い合っていた。全然笑ったりしていたのだ、でも人は分からない。弟もいつも僕が来て、兄と話してるとき、笑ってるのである。普通にふざけたこと言って笑ってるのに、人は分からない。

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本当はこんなとこ行かなくてよかったのかもしれない。でも、もう好きにさせてやりたかった。実際は話を聞いて、変な呪文みたいなのを唱えながら、額にポンポン叩かれたらしい。ふざけんな。それで2、3万取られてしまった。

帰りの電車、憑物が降りたように彼の顔は清々しかった。良かったとも悪かったとも言わなかったが、もう覚悟は決まっていたようだった。ただ、電車の中でもボーッと前を見据えていたのを覚えている。

死のちょうど数十日前、彼は電話口で泣いていた。母親のことを思い出したという。母親もうつで亡くしている。母親は厳しく、時に冷たいこともあったが、それなりに優しくしてくれたという。夜中に読み聞かせしてくれたことも話してくれた。うん、僕もお母さんから寝れない時、「窓際のトットちゃん」を読み聞かせしてもらったことがあるから気持ちがわかる。話の内容なんてどうでもよくて、とにかく寝る時もお母さんの話を聞いていると、安心するのだ。そして、僕も泣いた。二人で泣いていた。お母さんは君に死んで欲しくないだろうから、死んだらダメだよと言って、彼は生きなきゃと言っていた。でも、もうお母さんのもとに行きたがっていたのかもしれない。

彼の死はやはり突発的なものだったのだろう。最後まで諦めてはいなかった。死ぬ数日前まで寮に入りたいと言っていた。探してくれというので、ここはどうかなと思って電話したら出てこない。この時点で彼は既に居なかった。

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亡くなる二週間前に書いた夢の内容。なにが見えていたのか。