陰鬱

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活動期間は一年もなかったが、色々揉めたのだ。まず、小太りの人と揉めた。この団体をどう広めるか、広報について考えたとき、小太りの人は団体のYouTubeを開設しようと提案した。小太りとSM好きなHさんと、そして彼が参加する、みたいな話があったらしい。しかし、彼はよく考えると、他のメンバーに迷惑がかかるのではないかと考えた。問題点は、
・団体の名を借りて、この二人はYouTuberとして成功したいだけなのではないか。
・後で収益のことで揉めるのではないか。
・団体の方向性が乱れるのでないか。
・他のメンバーに伝えず、こそこそと内輪でYouTubeについて画策していたことについて、どうなのか。
結局、YouTubeなんかやらなくてもいいのではないかという結論になったのだが、そこで揉める。要するに、彼はYouTubeの話を内密にしてくれと言われていたのに、僕や他のメンバーにバラしてしまったからだ。そして、責任を感じた小太りの人は、もう団体に顔向けできないから脱退したいと言い出した。また、最初参加してくれると言ってたのに、突然手のひら返した彼の態度も気に食わなかったらしい。色々揉めて、最後に一対一で会ったらしいが、そこでも普段温厚な彼も堪忍袋の緒が切れて、お互い言い合いになって終わってしまったらしい。まぁ、互いにプライドは高かったから、両者譲れなかったのだろう。妥協を知らない彼らは、こうして関係が切れた。結構このことで彼は傷ついていた。やはり、小太りの人も団体のロゴを作ってくれたし、引きこもり支援センターにチラシ置きに行ったのも、色々相談にも乗ってくれたからだ。
余談だが、それ以前に僕と彼しか集まらなかった時に、暇だったので、彼が持っていたダイソーのチャンバラセットで、千葉駅周辺の公園でチャンバラごっこを興じていた。それが他の人の目に映り、Twitterで書かれてしまう事件が起きた。このことについて小太りの人は怒って、元々険悪な雰囲気になっていた。だから、YouTubeの件で完全に関係が切れてしまったのである。
もう一つは、夜の仕事をしていた「つー」さんと揉めたことだ。彼はとにかく団体を広めたいという思いが強く、常になにかに突き動かされ、焦燥感のもとに活動していた人間であった。僕に相談もせずに急にTBSの取材を受けると言い出した。そこに出演するのが、「つー」さんであった。
“引きこもり主婦”という話題をもとに取材を行なっていたTBSの募集に、彼とつーさんが勝手に応募したのである。そして、つーさんが取材を受け、その中で団体もチラッと宣伝させたらどうだ、という考えであった。
しかし、TBSは予めどういう映像を撮りたいか既に考えていたという。偏向報道甚だしい。海岸沿いにつーさんを歩かせるシーンを撮ったりしたという。撮影の事前の説明にて、彼とつーさんはディレクターと色々話したらしいが、彼は散々出演しない方がいいと反対したが、つーさんはなにを思ったか撮影してくれの一点張り。後に引けなかったのかもしれない。そして、撮影後、急につーさんは活動にも来なくなり、撮った映像をテレビで流したら訴えると言い出し、家に篭ってしまった。
ここでつーさんとディレクターの板挟みとなってしまったのが、彼であった。彼は基本的にリーダーとしての責任を感じ、何事も一人で抱え込んでしまうタイプであったから、僕含め他のメンバーに相談することはなかった。ディレクターとの話を調整しつつも、つーさんの言い分も聞かなければならない。彼は仲裁者として中立な立場で話を調停しようと試みたが、つーさんは私のことを優先してくれない,ちゃんと話を聞いてくれないと彼を攻撃。そして、放送期日が迫りイライラしているTBSからも攻撃を受け、相当疲弊してしまう。
結局、その映像はお蔵入りになったが、代わりに団体での活動のワンシーンを撮ったらしい。彼とKさんと優しきファザーであるOさんと三十代の良識人Tさんが出演した。俺はゲイセクシュアルの子とゲームの話をしながら、外にいた。映りたくなかったから。
しかし、この映像も結局使われず終いで終わった。彼が亡くなる数日前にまたテレビ局から電話があったらしいが、どういう内容だったのか知らない。
こうして、つーさんとも関係が切れた。その頃並行して団体のLINEのグループチャットも運営していた。団体に所属していない人が中心である。そこの管理人をしていたのがつーさんであったから、その管理人の後釜に彼が就任した。しかし、なんとおぞましいグループチャットか。つーさんは女性であったから、それを巡って多くの出会い厨が紛れ込んでいた。つーさんが居なくなると共に、グループは崩壊寸前に陥り、ますます彼は追い込まれてしまった。

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確かにこの頃から相当疲弊していたような気がする。僕も半分一緒に立ち上げたようなものだから、どうかきちんと俺に相談してくれ、これからは二人三脚でやろうと何度も言い聞かせ、励ました記憶がある。

しかし、参加者はどんどんと減っていき、気づけば誰も来なくなってしまった。そして、僕もレポートに追われ、団体や活動は自然消滅してしまう。年末で鍋パーティーをしたのが最後の輝きだったのではないか。


こうして、今年の一月を迎え、僕は君と出会った。ちょうど活動休止した頃だった。好きすぎて、君に夢中になる。

活動休止後も彼とはよく遊びに行った。一緒にメダルゲームをしたり、レポート手伝ってやったり、弟の面倒を見たりした。しかし、ある日突然連絡があまり来なくなったので、彼もなにか熱中するものができたのかな、と思いお互いの時間を過ごした。しかし、彼は着実に弱っていった。彼も好きな人ができたらしいのだが、その後話を聞かないから多分うまくいかなかったのだろう。女の子と会う約束をしたと思ったら、宗教の勧誘だったこともあったらしい。そして、最後らへんに関わっていた女の子からは通話越しで罵倒される有様だったらしい。とにかく、彼はしねとかカスとか、そういった言葉には人一倍敏感であったから、相当精神が削られていったのではないか。

そうして5、6月あたりだろうか、また連絡が増え始める。僕に助けを求めて来たのである。