陰鬱

考えたこと,感じたこと,思ったことを書く。https://schizzoid.web.fc2.com

2

レンタルスペースを確保し、団体登録も済ましたので、後はそこで何をするか,どうやって人を集めるのか、ということである。
取り敢えず、引きこもりだとか不登校の人が集まって、そこでいろいろな自己表現を含めたゲームをしようという話になった。しかし、最初から自己表現をしようというのも難しいものだし、そもそもが漠然としているので、軽い“レクリエーションゲーム”をしようということになった。
この“レクリエーションゲーム”というものが、俺はいまいち馴染みの無い言葉だった。どうやら、彼が所属していた劇団で行われていたウォーミングアップの一つであったらしい。たとえば、互いの名前を覚えて、タッチした時に名前を呼ぶ名前鬼だとか、みんなの筆跡を覚えて、誰が書いたか当てるゲームだとか、音楽に合わせて(何故か彼は米津のパプリカが好きだった)体を動かすゲームだとか。そういうのをやった。
レクリエーションゲームをやる以外の時間はダラダラお菓子でも食いながら、みんなでお喋りをする時間にしていた。互いの境遇を話す時もあれば、他愛のない話をすることもあった。
僕が危惧していたように、引きこもりがちな人が劇を通した自己表現に興味を持つのか、そもそもそれをやるエネルギーが有り余っているのか怪しいと思った。そして、無論みんな自己表現なるものにそこまで前向きではなかった。だから、結局レクリエーションゲームが中心になり、本題であり彼の本命であった自己表現活動は活動停止する最後まで行われなかった。次第にお喋りする時間が中心となり、“居場所”を提供し、誰でもくつろげるオアシス的な側面が強調され始めた。
彼は一般的な引きこもり者と違って、なにか文章や身体表現に己の葛藤や悩みや歓びを表出するのが好きであった。どちらかというと芸術肌だったのだろう。彼自身、自分の考えを広めたいという思いがあったし、劇や小説を書きたいと意気込んでいたものである。しかし、そういったクリエイティブな人間は案外引きこもりにはそう多くないのである。参加してきた人々は鋭い感性を持っていることは確かなのだが、それを形となるもので表現したいという人は少なかった。だから、自己表現を中心とした団体は成功しなかった。“誰でも受け入れる”というスタンスで団体を始めていたが、そういう創造的な人間は殆どいなかったのである。
彼はこの世界になにか爪痕を残したかったのだろう。しばしば自分の考えが正当であり、鋭い視点と説得力を持ったものだと自負していた。そして、それを他の人にも見せたいという思いがあった。評価されたかったはずだ。彼自身、優れた感性と人一倍共感性を持っていたと思う。しかし、その表現方法がなかなか見つからなかったようである。自分のその場で思いついた思いや葛藤を断片的に書くのだが、かといって小説や詩のような文学形態とはまた違ったものであったし、小説を書けるほどの気力もなかった。なにかいつも自分の中にある鬱憤や思考のわだかまりを、上手く発出できなかった感がある。けれども、自分の誇大するプライドと、溢れ出る行き場のない感性と思考が、彼自身を苦しめていたような気がする。演劇療法や、心理劇には、カタルシス効果というものがあり、自己表現することで己の鬱憤や葛藤をカタルシス(浄化)することを目的とする。彼はそれをうまく浄化できずに、苦しんでいた気がするのだ。そして、有名になりたいという思いと、一介の通信校生に過ぎないという、理想と現実の狭間で、葛藤していた感が否めない。

f:id:unkodaisukifunclub:20201010020715j:plain


話が脱線したが、レクリエーションゲームとお喋りを中心に、公民館の一スペース(最初は会議室にしようとしたが、後に和室の方がくつろげるということで、和室になった)で活動を行うことにしたのである。
できるだけ多くの人に参加してもらいたいという思いから、対象を“引きこもりがちな人”にした。不登校や引きこもりだけでなく、なんとなく人生に行き詰まって、あまり外に出ないような人でも参加できるように、という願いからだった。
こうして、ホームページやTwitterも開設し、具体的に活動を始めることになる。