陰鬱

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まもるくんの記憶

まもるくんも、さいていな記憶に悩まされていた。医学や心理学用語で言ったら、トラウマというものかもしれない。まもるくんには、中学でのいじめのトラウマがあった。特にそれについて終生悩んできた。フラッシュバックを伴うようなPTSDに当てはまっていたかは分からないが、とにかくさいていな記憶から逃れようと彼は奮闘した。もしかしたら、複雑な家庭環境、お母さんやお父さんとの関係にも、なにか哀しい記憶があったのかとしれないけど、僕の憶測に過ぎない。

僕は彼の色々ないじめの詳細を聞いた。それと同時に、加害者の理不尽な決めつけや言い分に過ぎないというのに、ひたすらに自分を責め続けていた。自分にいじめられる原因があるのではないか、自分が悪いのではないか、と。

僕は彼の考えを尊重しながらも、まもるくんに一切の責任や非はないことを伝えた。自分が悪くないと、誰にでもわかることを、自分に伝えてくれる人も僕以外にいなかった。まもるくんも薄々気づいていたように、自分が悪くていじめられたのではないことを知った。

そして、もうかつてのいじめられた中学時代は終焉を告げ、もう苦しむ必要はないことも伝えた。もう学校に通うこともない。自由に生きれると。まもるくんは納得していた。もう終わったことなんだと。でも、そう簡単な問題ではなかった。現実の時間軸では終わっていようと、彼が傷つけられたいじめの全人的苦痛とスティグマは永続的に、残り続けていた。

くだらない地理歴史だとか、生物だとか、そういった知識は簡単に忘れ去られていくのに、自分に関する、自分の存在を脅かす辛い出来事については忘れることができない。フロイトは、そういった辛い体験や記憶を、無意識に抑圧されることで病理が生じると説いたが、その前段階、前意識(辛うじて知覚可能な意識)にふと辛い体験が呼び戻ってくる。呼んでもないのに。こうして、辛い思い出はループする。

そういった過去の辛い体験や記憶の内容は決して変えられないが、捉え方は変えられる。情動修正体験だとか認知療法といった類のものである。そうでもしない限り、なかなか人は辛い記憶から根本的に逃れることは難しいのかもしれない。

けれども、まもるくんは、自分のいじめられた記憶に悩まされながらも、ある程度はもう折り合いを付けられていた。自分が悪くないことも、もう過去のことであることも、あの時から自分が大きく成長したことも、知っていた。彼は辛い、さいていな記憶から脱出できそうだった。

でも、心は限界だった。彼がさいていな記憶から逃れるために、どれほどの苦労をしたか。おかげで彼はうつ病になっていたと思う。適切な治療を受けていればと、いまになって思う。

彼は、色々な自信をつける経験や、楽しい記憶を積み重ねていけば、良かったと思う。辛い記憶が蘇らないほど、たくさんたくさん自信を持って、楽しいことを経験して、そうしたらさいていな記憶に打ち勝てたのではないかと。今になって思う。精神分析はなにかと過去に執着し、さいていな記憶やトラウマを扱い、修正しようとする。でも、新たにさいこうな記憶を積み重ねていけば、人は良くなっていくんじゃないかとも思う。ある程度さいていな記憶と折り合いがつけられていれば、それで十分なんじゃないかなって。いまになって思う。