陰鬱

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活動は冗長に進んでいった。活動後にファミレスに行ったり、カラオケにも行ったりした。たった一人しか来ない日もあったが、それでものらりくらりと活動を続けていた。色々な人が参加してきては、消えていった。一部だけ残っていったけど、長くは続かない。正月以降、結局一番仲良くしてた俺と彼だけが残って、あとはみなそれぞれの道を歩んでいった。

Hさん...小太りの人の知り合い、SMプレイが好きだとか言っていた少し下品な人。

Oさん...おそらく4,50代、ギターが趣味のおっさんで、仕事も真面目にしていた良識人。話も上手かったし、どこが病んでいたのかわからないが、とにかくいい人だった。いろいろ揉めた時も、親身に話を聞いてくれてので、我が団体のファザーであった。

Tさん...浪費癖の半ニートを夫に持つ人妻。夜の仕事をしていた。源氏名が“つー”であった。なんでそんなろくでなしと付き合っているのかわからなかった。我が団体を支えてくれる母になりたいと言ってくれたが、テレビ出演の件で揉めることになる。

Nさん...Tさんの知り合い。IT関連のブラック企業に就職して、休職をしていた。その人の知り合いもまた同じブラック企業に働いており、なんとか救出しようと画策していた。ラブライブが好きであった。

Mさん...いい人そうだったが、多分出会い厨だった。

Sさん...ハーフのゲイセクシュアルの人だった。ほぼ引きこもりでbeat maniaがめちゃくちゃ上手い人。猫好きで、猫の鳴き声がとても上手かった。彼氏がいる。今は知らん。活動にも毎回来てくれる暇人だった。

iさん...色々なところでボランティアを行なっていた3,40代くらいの女性。親身に話を聞いてくれて、団体の組織についても手伝ってもらったが、彼が病んで活動休止した際に、存在意義が分からないと言われて居なくなった。そう、みんな居なくなってしまい、彼は自信を無くしていった気がする。

Kさん...彼が兼ねてからメールでやりとりしていたみたいで、団体にも参加してきた。中学の頃突然制服を着れなくなり、学校に行けなくなったが、どういう訳か復活し、オーストラリアの大学へ留学した。長期留学のため、団体に参加したあと、すぐオーストラリアに行ってしまった。彼は相当この子に通話して愚痴を漏らしていたらしい。この子もなかなか相手するのが億劫だったみたいで、彼はブロックされることを恐れていた。彼は僕を信頼していたが、彼はその子に愛情たるものを得たかったのではないかと思う。とにかく母なるものを得たかったのではないかと。

他にも何人か参加してくれた。

東京の錦糸町でカラオケのオフ会をしたり、年末には鍋パーティーもしたらしい。俺はどらちも苦手だから参加しなかったが、年末まではなんとか楽しくやっていたのである。そこから、人が散り散りになって、色々なことでも揉めるようになる。団体として動く以上、彼ばかり頑張って、責任を負って、周りの人間は誰も彼を慰めてやらなかったような気がする。僕だけは一緒に考えたり、何度も通話をして励ましたが、もっと周りの人間がみんなで彼を支えてあげればよかったと思う。しかし、みんなこの団体に、なにか愛着というか所属感を持っていなかった。もちろん、小太りの人やTさんは積極的に団体を動かしてくれようとしたが、それも一人の思い上がりに過ぎず、集団としての統制が取れず、破滅してしまった。彼の自尊心を保ち、そして彼自身の居場所として機能していた団体で、様々な人間の汚さを見ることは、耐え難いことであったかもしれない。

それでも、僕はこの団体に感謝している。先にも述べたように、年上の人と関わることに抵抗が無くなったし、3、4人以上のグループの中でも積極的に会話ができるようになった。集団への恐怖が和らいだ。これは、学校のゼミでのグループ活動でも体感できた効果だった。そして、会食恐怖症(外食先で人に見られるのに恐怖を感じる)の治療にもなった。今では、人と外食することができるようになった。僕にとって、この団体は治療的側面を持っていて、存在意義は大いにあった。そんな話をした時、彼はこれ以上も無いほど喜んでいた。彼は今はもういないが、僕の血となり肉となっている。

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