陰鬱

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利用される神

以前みんなの心の内には神が存在していて、みんなそれぞれが神だ、なんて話をしました。

私もまた自分を擁護して、見守ってくれる神が側にいるわけですが、その不可視の神を私はどうも利用してしまうのです。例えば、納得できないことや、次から次へと降りかかる試練の意味付けに、私は神を利用するのです。

私はここ最近苦境に立たされているわけです。溢れ出す欲望と孤独感と、一方的な隔絶にです。この苦境を乗り越える程の精神的・身体的体力もあまり残っていないように思われます。身体の節々が痛み、常に心が締め付けられる気持ちでいます。自我は崩壊寸前まできている。そういう時にこそ、私は超自然的な存在を頼るしかないのです。それは言うまでもなく、神であり、内なら神なのです。そして、今の苦境を説明してくれるのが、神による試練や宿命、運命というものでしょう。今こんなに辛い思いをしているのは、いつか訪れるであろう自他共通の幸福のためだと。今後訪れるであろう最大の幸福を得るために、今私は苦境を強いられているのだろう。その機会と言いますか、乗り越えられる壁と言いますか、そういったものを神が私に提示しているのでしょう。こういった形而上的な観念や意味付けを以て、今の私はギリギリ持ち堪えているのです。自分の内なる神を信じて。その神はもはや私の信念と価値観と一体化している訳ですが、私の体力や精神力と共に、私の神は生き続け、私は如何なる時も希望を持って今生きていると思います。この神は、むろん彼女でもあります。

そして、この苦境が結果的には報われないであろう結末をも受け入れる確固たる精神を鍛錬する機会であることも、自分は受け入れなければならないのです。神はなんて不遇な経験をさせ給うのだろうか。他者の幸福のためなら、自分が身を引くという犠牲的な愛を見せなければならないのです。もう私は必要のない人間だということも理解しなければいけないのです。それを、他者の恒久的な幸福を祈りながら、笑顔で受け入れる寛大な精神を...。その時に至って、私の神はじっとぼくの姿を見守り、慰め、まだ長い人生の道のりを、時には照りつける情熱と希望の太陽が、そして慈愛の涙の雨が!私の進むべき道を人間らしくしていくのです。私にはもう自分しか味方がおらず、内なる神と孤独を愛することで、私の自我を保ちつつ、また紆余曲折の人生を、一歩ずつ一歩ずつ進んでいくのです。その足取りは重いけれど、彼女のことを思えば、何の苦でもないでしょう。だから、私のことはもう気にしなくていいのです。私のことで思い悩まないでほしい。こんな駄文を書いて酔い痴れてる姿を想像すれば、私にはまだ余力が残っていることは十分察知できるでしょうから。