陰鬱

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無為自然の極致

老荘思想の一つに、「無為自然」がある。動植物が自然のサイクルに身を任せ、生き死にを繰り返してゆくように、我々人類も決して特別な存在ではなく、自然の一部として生きていくべき、という考えだ。
我々は高度な文明と知能を有しているから、つい人間中心主義に陥りやすい。他の動植物なんか二の次で、利己的に環境破壊をし、他種を虐げる種差別に邁進してきた。でも、創造主の視点からみれば、ヒトもただの数多ある生き物の一種に過ぎず、塵のような存在だ。
だから、我々は人間界だけを視野に入れることなく、前も言ったように、地球全体(自然)を視野に入れて自らを捉えるべきだ。そして、自らも自然の一部であることを理解すべきだ。
自らも自然の一部だと理解すれば、後はその生き死にのサイクルに身を委ねるだけだ。ただ善く生きて、自然のままに死へ向かうのみ。自らが自然と同化することで、我々の苦悩や悩みもちっぽけに思える。周りからどう思われるとか、そういった評価懸念ももはや悩みの種ではない。毎日を生きることだけで、我々は十分である。
こういった生き方を端的に表すならば、「ありのまま」に生きることである。自らの長所や欠点や悩みもありのままに受容して、それらに思い悩むことなく、自然の流れるままに生きればいいのだ。様々な欲求を抑える必要もない、自然の流れに任せ、適度に欲求を発散する。ヒトで溢れた周囲に流されず、自然だけを味方にして生きていけばいいのだ。
「ありのまま」という生き方は、神経症治療で名を馳せた「森田療法」の考えの根幹である。我々は人間中心な人間社会に囚われすぎている。もっと広大で開放的な自然が我々を守ってくれているのだ。それに精一杯頼って、我々は流れに任せて、ありのままに生きていければ、悩みなんか自ずと消えているのだ。この無為自然にありのままに生きる技法を会得するのは、なかなか難しい。けれども、これを自分の物にすれば、もはや何も怖くない。そして、神にほんの少し、近づくこともできるだろう。       2020/2/18