陰鬱

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昇華

私は散々苦しんできた。いじめられたし、心身共に病気になったし、家庭環境も良くないし、不登校になったし、受験に落ちるし、孤独だし...。

悩みは今なお尽きない。けれども、私よりも辛い人間は沢山いるだろう。

社会に揉まれて揉まれて、苦しみ喘ぐ姿は見るに耐えないものがあるかもしれない。しかし、僕はそこに美徳を感じることがある。

人が何かを成し遂げるドキュメンタリーや映画を見て胸が熱くなるように、苦しみながらもがき続ける姿も美しいのではないか。

そんなこと言ったら、馬鹿にされるだろうし、不謹慎に思われるだろう。ただ、私は単に苦しむ姿を言っているのではない、苦しみながらも何か一つの目標に向かって努力してゆく姿や、苦しみながらも自分なりの幸せを手に入れる過程、苦しみながらもこの窮屈で息苦しい社会を覆してしまう生き様に心惹かれるのだ。

過去に苦しみ喘いだ人間が、将来確固たる何かを手に入れた時、暗澹たる陰気な過去の苦しみに、一気に光が差してゆく。そして、今までの苦しみは決して無駄なものにはならず、過去の哀れな自分と経験を、現代の自分の姿を以て昇華してゆくのである。だから、苦しみだけでなく、そのプロセス全体にこそ美徳を感じると言っても過言ではない。

だから、我々は寛容の精神を以て、苦しむ人間を相互扶助的に救済し、過去の苦しみを昇華して乗り越えていかなければならない。

しかし、これはこの生きづらい現代に生きる者のみに言えることだ。では、散々苦しみ思いをして、自死により命を閉じた人間の苦しみは無駄だったのか。

そんなことは決してない。彼らもまた死という名の苦しみからの解放を求めた。死には心身共に苦痛を伴うものだが、それを乗り越えて永遠なる解放を手に入れた彼らには頭が下がる。死は悲しいことだけれど、また救済ともとれる行為だ。自死を自らを救済する過程だと捉えれば、その苦しみも美徳に変わる。

苦しみは美徳である。そして、なによりも私が伝えたいのは、マイナスに思えるようなことも、いくらでもプラスに捉えられるということである。