陰鬱

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弁証法

やっぱり脅しのように捉えられたみたいですね、そうなるとは思ってた。多分これで最後だから、自分の思うままに書いたつもりです。あれは僕の感想みたいなものだから、別に受け入れてくれなくても大丈夫です。

もう理解してもらおうとか、そういうものもなくなってきた。ただ、僕は哀しいです。僕の意見が全て正しいとは毛頭思わない。それに人それぞれの価値観があるから、受け入れられなくても何も問題はない。ただ、僕は君のことを一途に考え続けた結果、自分の意見を言ったまでだよ。それは、君を理知的で賢い、いや、1人の人間として尊重してるからこそなんだ。思えば君は神様ではないだろう。神様には何を言っても、通じないだろうから。

ただ一方的に僕の意見を拒絶されると辛いものがある。それは、めいちゃんもわかることだろう。自分の意見が否定される屈辱を知っているだろう。掲示板でだって、そういう経験はしたと思う。

正直に言えば、君の意見が全て正しいとは到底思えない。あれ?って思うこともあった。でも、僕は君の意見をなるべく否定しないようにして、その中にある真意や良い面も僕は自分なりに取り込んだつもりだ。母の日の時だって、僕は完全には同意しなくとも、母親との関わりを反省できたように。でも、君は僕の意見を否定してしまう。それは、辛いことだ。いや、否定されるのが辛いわけではない。めいちゃんを思って、考えて、そういった一途な努力が報われないことが哀しいのです。

君は、自分と合わない意見は尽く一刀両断する。別にそれは構わない。でも、それで僕が完全に悪者になるのは辛い。あの掲示板の犬のように、事情も知らずに何から何まで君に賛同する人が欲しいのだろうか。君の意見全てを受け入れて、ただ頷くだけの人間が欲しいのだろうか。そういう人間に、君は騙されてしまうのではないだろうか。。そんな人間のどこに信用できる点があるのでしょうか。。ある程度意見を挟んでくるような奴こそ、本当に君のことを考えてくれる人ではなかろうか。。僕の母親はお節介で口うるさい。納得できないことだって言ってくる。でも、それはきっと僕を愛してくれているからなのでしょう。それと同じなのです。君を愛しているからこそ、口を出してしまいます。それを縛るだとか括られたら、僕はなす術ない。。

兎にも角にも、君のことを傷つけたのはごめんなさい。めいちゃん個人に対する意見を言うことが、君を傷つけることに繋がるなら、やはりもう何も言えないでしょう。。そういう点で、あなたは神になることを望んだのではないでしょうか。あなたを崇拝できなくてごめんなさい。このまま自分を押し殺して、何を言われても耐え抜いていくことが正しかったのだろうかと思う。

弁証法という言葉があります。

物の考え方の一つの型。形式論理学が、「AはAである」という同一律を基本に置き、「AでありかつAでない」という矛盾が起こればそれは偽だとするのに対し、矛盾を偽だとは決めつけず、物の対立・矛盾を通して、その統一により一層高い境地に進むという、運動・発展の姿において考える見方。図式的に表せば、定立(「正」「自」とも言う)Aに対しその(自己)否定たる反立(「反」「アンチテーゼ」とも言う)非Aが起こり、この否定・矛盾を通して更に高い立場たる総合(「合」「ジンテーゼ」とも言う)に移る。この総合作用を「アウフヘーベン」(「止揚」「揚棄」と訳す)と言う。

例えば、君の意見を正とする。そして、僕の言い分が矛盾まみれの偽の意見(アンチテーゼ)だとする。君の正しい意見と僕のゴミみたいな意見を合わせ考えた時、君の意見は更に高い境地に進むのです。そう、僕のゴミみたいな意見にも必ず得られるものがあるのではないでしょうか。是非ともアウフベーヘンしてみてください。これは、相手の意見を譲歩してあげる態度にも繋がるはずです。それが、きっと君の幸せにも繋がるはずです。Twitterの多種多様なツイートにも、悩まずに済むかもしれません。

また、カウンセラーと片思いはまた違うものです。カウンセラーなら君のことを好きでも無いわけだから、君のことをへーへーと聴いていればいいのです。でも、僕はあなたのことが好きだから、どうしても意見が合わないと、何か言ってしまうのです。どうでもいい人間なら、僕は共感に徹して終わるでしょう。君が大切だから、口を挟んでしまう。どうか、僕のこの哀れな想いだけは汲み取ってあげてください。。多分これでもう意見することは無いです。もう言いたいことも尽きました。残るのは、めいちゃんへの愛のみです。