陰鬱

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孤独の在り方

その人が孤独であり、なおかつ寂しさを感じている場合、もうそれは病的に苦しいものです。
孤独を私が分類しますと、
1.積極的孤独
2.部分的孤独
3.消極的孤独
だと思います。
積極的孤独というのは、なかなか珍しいです。スキゾイド型パーソナリティ障害や自閉症のように、自らを孤独の中に沈めるタイプです。しかも、「積極的」なわけですから、孤独であることに寂しさを感じず、何ら苦に思わないのです。ぼくは、この積極的孤独を羨ましく思います。
部分的孤独は、最低限の友達やパートナーを作りつつも、ちゃんと孤独な時間も作る人です。これが一番理知的に思います。一応人間関係は築けるし、かといって周りに流されることもない。泰然自若の精神で、遊ぶときは遊ぶ、一人になりたいときは一人になる、これを徹底するのはなかなか賢い生き方である。部分的孤独な方は、決して人と関わりたくないわけではなく、かといって自分の世界も大事にする人でしょう。「孤独のチカラ」(新潮文庫)を執筆した齋藤孝も多分こういうタイプなのでしょう。
最後が消極的孤独。これが一番哀れで最も多いタイプでしょう。自分は一人になりたくないのに、対人関係能力やコミュニケーション能力が低いがために、否応無しに孤独に身を置かなければならない人たちだ。“消極的”でありますから、勿論孤独にはなりたくないのです。寂しいのです。色々な人と友達になって、遊んで、恋愛したいのです。でもできない。そういった人間が掲示板に溢れているのでしょう。彼らの課題は、ソーシャルスキルを身につけて、色々な人と接するに限りますが、ここで僕が提案するのは、部分的孤独へ近づくために、思考を変えることです。
部分的孤独にいる方は、総じて孤独は嫌いではないのです。社会から隔絶された自分に若干酔っているのです。孤独であるが故に、思考が研ぎ澄まされ、自己内省し、様々な書物に出会う機会がある。そういった孤独者のみが経験できる利益も彼らは知っている。
だから、孤独で寂しくて辛いなら、自己鍛錬した方が良い。そして、孤独への考え方も変えて、孤高でいられることに誇りを持ち、感謝することだ。人間が大きなことを成し遂げる最初は、みな孤独なのだ。
といっても、寂しいのは寂しい。孤独の身から成功と幸福を掴むのは至難の業だろう。だから、少なくとも一人くらいは孤独を癒す人間がいてもいいとは思う。僕にはもういないのである。        2020/3/11