陰鬱

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人生の暗黒時代 暗闇のトンネル

暗黒時代(あんこくじだい、英語: Dark Ages)とは、歴史上のある一定期間、戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代を指す。

 

紀元前1200-700年、古代ギリシアは空前の暗黒時代へと突入する。今まで使われていた線文字Bも使われなくなり、文字記録も考古学的資料も殆ど見つからない謎に満ちた時代があった。

そして、この暗黒時代は各人にも存在する。誰もが必ずしも暗黒時代に突入するわけではない。我々社会不適合者と呼ばれる選ばれし者だけが経験する時代なのである。現代の暗黒時代はまるで暗闇のトンネルのように、先が見えず、足場も心細く、決して幸福と安定を保証する出口に出られるとは限らない。その途中で力尽きるものもいる。

私は、小学生の頃からしばしばいじめられ、中学では自分の無能さを誰もが馬鹿にした。私の心は酷くえぐり取られ、回復不能の傷に苦しんだ。けれども、暗黒時代,暗闇のトンネルに自ら身を投じる覚悟は無かったし、そもそも自分はそんなところに入る必要性すら感じなかった。

しかし、今まで虐げられた自分は沸々と私を蝕んでいく。「お前はこのままでいいのか、お前は頑張りすぎた、休みたいんだろ」実直に健全に生きていきたい自分に、自堕落したもう一人の自分が唆す。その声に私は甘んじ導かれたのが高校時代。嫌なクラスメートと学校の先生。クラスでの孤立。対人関係に疲れ果てた中学時代すら輝いて見えた。もうなにもしたくない。私はもう一人の自分に導かれた、その先は先の見えない暗闇のトンネル。一度入ったら抜け出すのは困難、私は暗黒時代に突入することになる。私は不登校になる。知り合いとも疎遠になった。

人生の暗黒時代、トンネルの入り口に立つときはいつも一人だ。孤独だ。これは当然のことで、誰か支えてくれる人が一人でもいれば、こんな目にはあわない。この暗闇のトンネルは怖い、でもこの暗闇が私の気持ちを安堵させた。騒がしい喧噪の世界からの逃避、自分を包み込む救いは、孤独と暗闇のみだった。

最初は怖いけど、段々と気楽になる。しかし、人間は身体的にも精神的にも成長する生き物だ。僕はこんなところにいていいのだろうか。もっと頑張らなきゃ。自堕落した自分はもはや口を利いてくれない。彼は役割を終えた。後は、このトンネルを出なければいけない。学校にも行かなきゃいけない、働かなきゃいけない、社会に出なきゃいけない。社会を捨てきれない私は、なんとか大学に入った。けれども、未だにトンネルを抜けた実感はない。未だに気分は沈むし、この世のあらゆる事物や人間が暗く見える。暗黒のフィルターを経て、僕が見る景色は未だにもやがかかっている。大学生という身分は何の安定も保証もくれない、不安は募るばかり。そして、自堕落したもう一人の自分は、また私を唆し始める。「楽になれよ」と。

暗黒のトンネルは誰もが通る者ではない。心身ともに健康で、親にも周囲の人間にも恵まれていれば、何の苦労もいらない。彼らは単調に生きる代わりに、悩み苦しむ経験を知らない。でも、それは幸せなことだろう。では、暗黒のトンネルに入った者に救いはないか。人生に一度挫折した者に救いはないか。一度トンネルに入れば、殆どの人間は出てこれない。生活が安定したって、お金を稼げたって、いつも抑うつな気分と過去の古傷が私達を蝕む。救いはないのか。

救いはきっとある。暗黒のトンネルは私たちの自我を守ってくれる。なんとなく、憂鬱な気分の中に、一縷の快楽を見出すように。何もしないでいられる解放感に浸れるように。暗黒時代を経験した者だけが、感じ取れる幸せもあるのである。それに、人よりも苦しみ抜き、絶体絶命の状況から、幸せに向かって努力し、這い上がってゆくその過程は、我々のみぞ享受できる特権だ。

一度くらい人生に挫折したってどうにかなる。暗黒のトンネルを抜ける必要も実はない。トンネルを抜けたり、また入ったりすればいいのである。抑うつ永久機関抑うつウロボロスである。